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バリ島海岸(バリ島旅行記)
バリ島の海辺をウロツク店主
店主の旅日記(バリ島旅行記) 名も知らぬ 〜♪
遠き島より 〜♪
流れ来る 〜♪
椰子の実一つ
 〜♪
さすらいのアートディーラー(店主のこと)バリ島の海浜を彷徨う…。なんかイイモン落ちてないかな?とウロついてると…古そうな小銭を拾って大喜び!「ナンデモ鑑定団」に持ってくとひょっとして??(^∇^)??そしたら葬式の副葬品だって… 。あの世に持ってったら高く売れるかな… (^^ゞ 目次に戻る
ウブド郊外よりバトウカル山を望む
ウブド郊外よりバトウカル山を望む


店主の旅日記 秘境キンタマ〜ニ高原紀行  2004年12月

運転手のPUTU君を前に「では、これからあそこに行く!」と、厳かにかつ毅然として店主は告げたのだった。思えば前回「道が悪くて危険なので・・・」と断られ、涙を飲んだ苦い経験がある。彼の父上の車なので無理も言えず泣く泣く諦めたが、今回はレンタカーなので、潰れても多分大丈夫だろうと思い決心した。

峠から湖へと急角度で下って行く道路は確かに「コレが車道か?」と思えるくらい酷い斜度と曲がり方をしている。(帰りにこの坂で心臓が止まりそうになった・・・) キンタマーニ高原はバトール山(1717m)を中心とした美しいカルデラ高原で、日本の阿蘇山を少し小さくしたような感じの地形でした。

とりあえず、湖畔に行こうと考え遊覧船乗り場らしいところに車をとめる。閑散としていて誰も居ない、と思ったら間髪入れずになんやらヒカリモノを手にした女房集団が何処からか現れた。「イヤー、ヒカリモノハニガテナノデ・・・」と軽くいなそうと考えていた店主を尻目に、隣では失業状態でおカネに縁の無い筈のPUTU君が銀細工のブレスレットやネックレスを品定めしている。このバカ余計な事をして・・・と嘆く店主。ナント貧民の筈の彼が「観光客が少ないのでみんな大変なんだだよね」と言いながら数品買ってしまった。

すると、「サア次はアンタの番だよ。カネ持ってそうだからいっぱい買いなさいね」と、オバサン集団の異様な熱気に包まれる。「この際バッタ物で恐縮だけど留守宅を守る(と信じている)愚妻にお土産買ってこうか・・・」と諦めて値段交渉に入る。店主「面倒なのでコレとコレでナンボ?」オバサン「コレはXXXだけど、コレ全部でXXX」店主「コレとコレは要らないので、コレコレでナンボ?」と続きやっと交渉成立。メデタシメデタシ。すると、別のオバサン2「サア私からはナニ買ってくれる?」ときた。店主「エッ、買い物はもう済んだのですが・・・」オバサン2「ナニ言ってんの、アノ女から買って何故ワタシから買えないの?ワタシに意地悪するの?」店主「イヤ、そんなことは無いけど・・・」オバサン2「じゃあ何が欲しい?コレ全部でXXXにオマケするよ!」店主「そんなに要らないけど、コレコレでナンボ?トホホ…」と、又買ってしまう。すると、オバサン3が今度はワタシの番とばかりグッと前に乗り出してきた・・・。過酷に際限なく攻撃してくるモノ売りオバサンたちの包囲網を逃れ、車に戻ったときは両手に持ちきれないほどのヒカリモノを抱え、サイフの中身はとっても淋しい状態となった。

バリ最大の火山湖の湖岸には漁師の船や定置網が見受けられ魚影が濃さそうだ。湖水を汲み上げて周辺の野菜畑を灌漑しているが、それもほんの一部で殆どの土地は黒っぽい溶岩がゴロゴロしている荒涼とした原野だ。村の周辺の道路端に小さな森が点在し、デカイ果物が見え隠れする。果物の王様ジャックフルーツで幹の割には異様に大きな実がブランブランしていた。味は良く知らないけど、丸くて巨大でどっしりしたところは果物界のクジラといったころで、観てるだけで心が豊かになる。

一通りの調査(何の?)も終わり、帰途につく。野菜や土を満載したトラックが前後を走る。始めは上り坂で極端に遅いトラックをヒョイと追い抜いていたのだが、次第にこちらの車も怪しくなってきた。中腹でギャ〜っと心臓が止まりそうな上り坂に遭遇。「ア〜ダメ〜・・・ここで止まったらバックしてしまう〜!神様仏様キリスト様ナントカシテ〜」と悲鳴をあげる店主。「ジープみたいなカタチで騙された。このポンコツ〜!」と呪ったが今さらどうにもならない。が、奇跡的に(神仏のご加護か)この坂を登り抜けた。峠にたどり着いたときは両足を踏ん張り過ぎたためか店主の膝が少し震えていた。恐るべしキンタマーニ高原!。この島のレンタカー選びは馬力がポイントだと胆に命じる店主だった・・・。




店主の旅日記 プンゴセカンの黎明 〜ラバ物語 〜 2004年10月

ある村の先生が子供たちに話しました。「インドネシアはとっても豊かでお金持ちの国です。豊かな自然と天然資源に恵まれ、金や銀や鉄それに石油が豊富にあり、広大な森からは木材を切り出し外国に輸出していっぱいお金が入ってきます。」そこで一人の生徒が訊ねました。「先生、でもそのお金は何処にあるんですか?」すると、誰かが叫びました!「先生、もしかしたらお金はみんな神様が持ってるんじゃないの?」そこで皆が肯きました。「きっとそうだね。インドネシアの神様は大金持ちだ!」 お終い。 

〜インドネシアのジョークより〜

長く続いたオランダ支配の後に、植民地解放を旗印に電撃的に島の支配者となった日本軍も去り、スカルノ率いる民族独立運動に激しく揺れる1948年バリ島中央部UBUD村プンゴセカンにニョマン・ラバは生まれた。貧しい農家の3番目に生まれたニョマン少年は着たきりスズメの生活で、雨の日は着替えが無いので学校を休んだと云う。それでも食べるものはナントカなり、特にひもじい思いをすることはなかった。

小学校を出るとニョマン少年は直ぐに網籠作りの職人となり家計を助けた。仕事の後に村のガムラン楽団の練習に通うことが唯一の楽しみで、その頃見よう見真似で始めた絵描き遊びが意外と面白くニョマン少年を虜にしていった。当時の絵のテーマはもっぱらヒンズーの神々のお戯れを描いた細密画や祭り、市場等を描いた墨絵に近いクラ〜イ絵が多く、ニョマン少年も見よう見真似で先輩たちの絵の模写から始めたのでした。

運良くドイツ人画家アレクサンダーのアトリエに出入りする機会に恵まれると、この温厚な画家は控えめで物静かな少年の瞳にある種の閃きを感じ、高価で貴重な自分の絵の具を少年に分け与え彩色の手ほどきをしてみた。するとそれまで墨絵のモノクロ世界しか知らなかったニョマン少年の絵は、ヒンズーの神々の呪縛から解き放たれ、仄暗い森の奥から太陽の光り輝くまばゆい色彩溢れる世界へと舞い上がって行ったのでした。  





店主の旅日記 番外編 〜キャメロン・ハイランド紀行〜 2004年5月
そこは、密林の奥深く遥かな峯々の彼方の雲の上にあった。1885年にこの高原を発見したイギリスの国土調査官W.キャメロンの名にちなんで命名されたいう。海抜1800メートルの高原の空気はひんやりと心地よく、自分が熱帯にいることを忘れさせてくれる。今ではエアコン付きのホテルは当たりまえだけど、1800年代のヨーロッパからの熱帯の旅人たちにとってはオアシスだったに違いない。

この高原に恋焦がれて早2年の歳月が流れた。ある老医者が「マレーシアの軽井沢」の話をするのを聞き、ヘエそんな土地がアノ辺りにあるのか・・・と感心したのが始まり。(実は店主は軽井沢に行ったいったことが無い) その後、松本清張の小説「熱い絹」を読み益々興味をそそられ、「死ぬ前に一度は行って見たいものだ」などと考えていた。

「念ずれば叶う」とは本当でした!気が付くと店主はクアラルンプールへ向かうマレーシア航空の機上の人となっていたのでした。日本人がよく利用するという「ヘリテージホテル」では眺めの良い広くて清潔なお部屋をいただき大満足。朝食付きで一部屋(2人分)¥8,000くらいの料金はまずまずではないでしょうか?料理はなんと言っても「スチーム・ボート」が良かった。「しゃぶしゃぶのちゃんこなべ風ごった煮」といった感じで2種類のスープ槽があるお鍋に、肉、魚貝、野菜、麺、卵等をお好きな槽にブチ込んで煮て食べるというシンプルな料理です。道端の野外テーブルで暮れ行く景色を眺めながらというのが正しい食べ方のよう。お店選びのコツとしては、その辺を一回りして一番アイソの悪い賑わってそうなお店が安くて美味かった。お土産屋さんで懐かしいバリ島の木彫り人形を見つけ値札を見てビックリ。ナント、ウン10万円の値段が付いるではありませんか!「さすが華僑の商売人、我々とはスケールが違う」と感心しました。

さて、今回の一番のお楽しみは「高原ゴルフ」。ここではゴルフ場を囲むようにして家々が建っています。つまり、平らで日当たりの良い一等地をゴルフ場にしているんですね!(さすがイギリス人です・・・)


パブリックコースで、料金は一人\3,000くらいとお安く、おまけにボールが良く飛ぶのが嬉かった。ただ、乾いた気候と芝生の性格のためかグリーンがメチャクチャ早くてボールがなかなか穴に収まってくれない。ゴルフはスキーなんかと同じ「地球と遊ぶスポーツ」で、自然の野山に溶け込んで老いも若きもオトコもオンナも一心不乱に白球を追っかけ回してしまうところが好きです。初日はコースに不案内なのでキャディさんを一人お願いしたところ、自分はジャングル生まれの「オラン・アスリ」(注1)で、片道4時間かけて仕事に来たという。キャディをしながら英語を覚えたというキレモノで、最後にしっかり2人分のキャディー代を毟り取られてしまった・・・。(。>_<。)

(注1)オラン・アスリとはマレー半島の山岳部に住むアスリ族のことで、小説「熱い絹」の重要な登場人物でもあります。




 店主の旅日記 マンダリンとの遭遇・某航空機内にて 2004年7月

バリの空港ではこれまで入出国ともに割と順調で、イジメられたことは無かったと思う。ただ入国に25USドルと出国に10万ルピアを旅行者からムシリ取るのは、世界広しといえどもここくらいではないだろうか。持ってる人からは遠慮なくいただこうという感覚かな?ついでに差別せずに国内のお金持ちからもいただいたら良いいと思うのですが・・・・・。庶民は例外なく船を利用しますからね。

長く過酷な買い付けの日々も過ぎ、余ったルピアの整理を終えてパスポート、航空券も紛失することなく、なんとか飛行機の座席にたどり着くと、やれやれです。あとはすべて神様にお任せして冷た〜いビールをグビグビやるだけ。

マレーシア航空で何度か帰国しとても気に入った事があります。夕闇の中を離陸すると直ぐに雲の上に出る。(当たりまえか)すると、先ほど沈んでしまった太陽が残照となってまだ遠く雲海の彼方にいるではないですか。過ぎ去りし日々の出来事を回顧するのにまことにピッタシです。マユミさんの「心の友」(注ー1)なんか思わず口ずさんでしまいます。

何を聴こうかなと機内のエンターテイメント誌を見てみると、何故かマンダリン(注2)の曲目が目に止まった。漢詩の素養はないけど何となく想像でき、クイズみたいで楽しい。

まずはこんな感じ。

幸福的地団・・・・・・しあわせな団地生活のこと?
海盗・・・・・・・・・・・・・海賊のことですね。
耐我知道・・・・・・・・耐え忍んで道理を悟る?
他還是不謹・・・・・・浮気はいけません?

いい線いっていると思うのですがこれなんかどうですか、

能不能・・・・・・・・・・・出来る人と、出来ない人?で何が?
防....空洞・・・・・・・・・穴をどうにかして防御することかなア?
我愛夜・・・・・・・・・・・これは簡単、夜行性の人の事ですね。
賄賂愛情・・・・・・・・・いけません。お金で愛情を買うなんて。
無能為力・・・・・・・・・アホでも腕力だけはある人のことかなア?

思えば、長いこと彼の国から伝わってきた漢字の書き取りテストに苦しめられてきたなア・・・・・。しか〜しである。その苦難の日々の成果がここに現れてるでは有りませんか!習いもせずに(外国語として)文字を見ただけで想像できちゃうんですから立派です。でも、本当の意味はどうなんでしょうか? 詳しい方がおりましたら教えてください・・・。




(注-1)五輪真弓の曲でインドネシアでは大ヒットしたそうです。(でも「おしん」にはかないません)
(注-2)マンダリンとは中国の標準語。(同じ名前で同国産のみかんもあります)




店主の旅日記 バリ絵画の故郷を訪ねて・カマサン村 2004年5月

今から100年ほど前にオランダ軍との戦いに敗れ滅んだ、バリ最後の王朝の都クルンクンの南の郊外にその村はある。

代々王宮の内装を担当した装飾壁画の職人村として栄えてきたが、王朝が滅ぶと同時に村人の収入が途絶え、それからは苦難の年月を耐え忍んできた。今は、ホテル等の観光産業向けの注文を取ったり、観光客向けの小振りの絵を売って細々と生計をたてている。

村の通りに面した玄関には「ARTIST」の看板を掲げた家が多く、その中の一軒に入ってみた。中庭でおじいさんがひとりでお昼寝中。用件を伝えるとやおら起き上がり、部屋の中をゴソゴソ始め、埃だらけの巻物を数本取り出してきた。それを恐る恐る広げると、擦り切れ色が剥げかけたボロボロの蒔絵が現れた。

昔のカマサンの絵は横に長〜い絵巻物になっているんですね。神様や先祖の英雄たちの行いを絵巻物語として横に描いていき、室内装飾として木の壁や天井に貼り付けます。
しかし、あまりの状態の悪さ(注1)に「ウーム」と絶句し、親切な応対を感謝しつつ退散。

(バリの村人は敷地を石塀で囲み、広い中庭を中心に、おじいさん夫婦の家、お父さん夫婦の家、長男夫婦・・次男夫婦・・三男・・叔父さん夫婦・・という風にそれぞれ独立した家又は部屋を持ち、一族が共同生活をしている。)

その後、秘蔵のカマサン絵を求めてぶらぶらとそれらしい家を訪ねて歩いてみました。

家督したというある女性画家さんは、先祖代々高名な画家を輩出する名門の家で、比較的状態の良い絵を多く所有していました。彼女の描いたという一枚の絵は、独自の画風を持ち重厚で柔らかな色調の端正な画面構成でなんとも優雅。一目ぼれしてしまいました。(彼女ではなく絵の方です!)

古いから良いという物ではなく、新しくてもその道の達人が精魂を傾けて製作した絵には魂が宿り、気品に溢れ光輝いているのを感じました! (私だけの思い込みでしょうか・・・・)

次に行った工房らしいところでは、10人ほどの奥様方が集まり、分担でカマサン絵を制作していました。マーケットに出回る比較的安価な作品はこのようにして製作されているとのことでした。

左は、クルンクンにあるカマサン絵画の博物館でオープンエアーで昔の裁判所だったとのこと。
(男女のおマタを火で炙ってたりして、その罪により処刑方法が違うらしい。ムムム・・・。)

ちなみに、今回も店主がイイナア〜と思った絵には手が出ずじまいでした・・・。グスン (ToT)



(注1) 当時の画法では布の表面を米で作った糊を貼り伸ばしその上に絵付けをしたため、長い年月の保存は難しいとのことです。

(MURIATI作品 ラーマ王子とハノマン 〜ラーマヤナ物語より〜)



店主の旅日記 巨匠を訪ねて・デワ モコ氏 2004年2月 

ジャカルタで開催される絵画オークションで「LARASATI」をご存知でしょうか?、「ア、アレネ・・・」という方が居りましたら間違いなくアジアオタクです。今回登場するモコ氏の作品はここの常連で毎回出品されているようです。

そこで、モコ氏のギャラリーがウブド郊外にあると聞き、恐る恐る訪ねて見ました。店主は一応「さすらいの画商」と名乗っている都合上、「ウーン感激!良いモノを見せていただきました、そんじゃまた!」とスタコラサッサする訳にもいかないので、問題は果たしてこの貧乏画商に手の届く絵があるかどうかと言うことでした。

物静かなモコ氏は、不意の訪問者にも顔色一つ変えず、(ニコリともせず)身体検査も省いてギャラリーに案内してくれました。所狭しと並べられた秘蔵の作品を恐縮しながら見ている間、さすが巨匠、そこら辺のお土産屋さんと違いセールストークは一切無し。「まあゆっくりと見て行きなさい。値段は好きな作品が見つかったら聞いてくれ。」という実に立派な営業スタイルでした。

モコ氏の作品は、バリの社会制度の呪縛から解き放たれた自由な心で歌い、踊り、愛し合い、夢を見る、彼自身の姿であり、人間賛歌の物語です。同時にこの自由を手に入れるために苦悩した、彼自身のこれまでの人生でもあったはずです。

果たして、この稀代の巨匠の作品を扱える日はやってくるのでしょうか・・・・・。皆様の中に、「これです、私の捜していた絵は!」という方が居りましたら、一度ご相談下さい。「叩けば扉は開かれん」と言うではありませんか!

ちなみに、今回は涙を飲んで手ぶらで帰りました・・・・。グスン (ToT)

アトリエにて 新作の数々

モコ氏の略歴

1934年 バリ島プンゴセカンに生まれる
1970年代 弟バトゥアンと共に「プンゴセカン・コミュニティ・オブアーティスツ」結成
1971年
1972年
ヴィクターメイソン企画のプンゴセカン作家の展覧会に出品
1972年
〜1978年
デンマーク、オーストラリア、スラバヤ、オランダ、アメリカ、ドイツでのグループ展に出品
1979年 バリ島アートセンターの「バリ芸術祭」の展覧会に出品
1980年 ラトナ・ワルタ・アーティスト・アソシエーションに所属
1985年 「第2回アジア美術展:特別部門 バリの美術」展(福岡市美術館)に出品
1993年 ヴェネチア・ビエンナーレにロスマ・スクネーリの企画「モコの世界」に出品
1995年 「第8回アジア美術展:モコ展」(福岡市美術館)





店主の旅日記 至れり尽くせリ・シンガポール空港 2004年1月
 

〜無料のインターネット・コーナー(左) と 休息エリア(右)〜


皆さんは、飛行機の乗り換えの都合で、旅の途上の空港で止む無くオーバー・ナイトされたことありませんか?航空会社がホテルを面倒見てくれたら良いけど、最近の格安航空券では「勝手にどうぞ」というのが多いみたいですね。

今回のバリ島行きで利用したシンガポール航空で、店主も乗換えの為チャンギ空港(シンガポール)でオーバー・ナイトするハメになりました。夜中に着き、翌朝の飛行機に乗り換えるまでのおよそ10時間くらいの待ち時間。市内のホテルに泊まるにはもったいないと思い、空港のトランジット・エリアでゴロ寝する魂胆で機内の毛布を無断で借用(スミマセン)させていただきました。ところが有るんですね!アジアにはそんなセコイ悩みをもってたち寄る、インターナショナル的難民を暖かく迎えてくれる空港が!

休息エリアを設け、ベッドとはいかなくてもビーチチェアーくらいの角度で横になれる椅子を無料で提供。なんと各椅子にはお寝坊さん用に目覚ましブザーまで備え付けてある。おまけに、近くには無料で使えるインターネット・コーナー(サムソン提供)まであるではないですか・・・。15分間の時間制限とは言え、順番待ちで何回使ってもOK。まさに至れり尽せり。これでこそ、「アジアを代表する太っ腹国際空港」、と極東の島国からの貧乏旅行者は感極まりただただ涙するばかりでした。他に、6時間2500円くらいの料金で利用できるトランジットホテルもありました。今回は某旅行大手、H急交通社で航空券を購入させてもらいましたが、こんな有りがたい情報は何一つ教えてくれませんでした。まあ、有益な情報には価値があり、無料ではないと言うことでしょうか・・・・・・。

あと、それから、寝台椅子の目覚ましブザーの件ですが、同じ日に2度ほど国際線の飛行機に乗り遅れるという不覚を経験している店主としては、何事にも疑い深くなり、一応試しに30分間の目覚ましブザー(バイブレーション)のセットをして確認してみました。案の定、時間になっても何の音沙もありません。しつこく4回ほど試みましたが同じ結果でした。寝過ごして飛行機に乗り遅れた自殺者がでると、航空会社(空港会社)にとっては多大な負担になると思いますので、どなたかシンガポール航空に知り合いがいましたら、一度総点検することをお勧めします。

そうそう、お借りした毛布は翌朝隣に同じようにゴロ寝していた、小さなお子さんを3人連れたインド系の若いご婦人にお譲りしました。その後どうなったかは追跡不能ですが、人々に眠りを与えるという毛布本来の使命を立派に果たしてくれたことをご報告いたします。



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