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ふう〜、それにしてもバタヴィア(現ジャカルタ)は暑い土地だ。昨日まで滞在してたバリ島は乾季(冬)で、朝晩は涼しい風が吹いていたのに、ほぼ同緯度のこの街では夜になっても熱風のままだ。
今回の旅行のために厳選したホテル・バタヴィアは、市内随一の由緒有るホテルで、VOC(オランダ東インド商会)がジャワ島支配の基地とした港に近い旧市街にある。ホテルの直ぐ側を流れるドブ川(失礼)に架かる「跳ね橋」に植民地時代の香りが残っていて、近くには、海洋博物館(VOCの倉庫跡?)、歴史博物館(植民地時代の圧制の象徴?)、絵画・陶器博物館(陶器の殆どがレプリカ…)等が歩いて行ける距離にありとても便利だ。
しか〜しである。このホテルは問題だ!2〜3年前にシンガポールの会社が買い取り4階を全てカラオケ・ルームに改造したらしく、そこから流れる物凄い音量のリズムが昼夜の別なく全館に響き渡っている。これはまいったと最上階の9階に部屋を移してもらったが、この騒音から逃れることはできなかった。歴史的建造物が、近隣諸国の華僑団体様専用の「カラオケ・○春ツアー
ホテル」に衣替えしていたとは。これも又時代の流れか・・・(涙)
滞在3日目は、朝8時にタクシーで近くのコタ駅に向かった。この日は近郊のBOGOR市に列車で移動し、有名な植物園を見学しようという計画。コタ駅では親切な男の子が田舎者一行(店主とPUTU君)に電車の切符の買い方を教えてくれた。お礼に2千ルピアとチューインガムを渡す。ナントか無事にガラガラの冷房付き急行列車に乗り込んだ。車内を見回すと日本語の説明書きがある。どうやら東京の地下鉄車両がいわゆる「第2の人生」をここで頑張ってるらしい。ゴクローサン〜!
車窓から眺める首都ジャカルタは、街の中心部にやたらと大きな官製の建物やら敷地が広がり「中心部がスカスカしてるな〜。どこがこの街の中心なのかなア?」という印象。その後1時間くらいでBOGORに到着。駅前は「暑い、汚い、ウルサイ」のアジアの混沌といった世界が広がる。隣接しているはず植物園の入り口は意外と遠く、歩いてきた店主一行は汗だくとなり、到着時には完全に一仕事終えた状態になってしまった・・・。(助手のアホが途中で道を間違え炎天下を200メートルほど余計に歩いてしまった)
さて、いよいよ植物園に入場。ここにはオランダから分捕ったジャワ島経営のためにやってきた、有名なイギリスのトーマス・ラッフルズ卿が館を構えたのが始まりで、その後各地より珍しい植物が持ち込まれ一大植物園にまで発展したとのこと。中には、メキシコ植物園(サボテン各種)や絞め殺しのイチジクの大木(確かオーストラリアにも有ったなア)、南米産オニ蓮の池、英国庭園等々がありました。広大な園内は植物の種類により幾つかに分かれていて、一日かけても回りきれないほどの広さだという。
その夜、ホテルに戻ってから異変が起きた。店主の左手首が痛み出し動かなくなってしまったのだ!翌日近くの病院で診察してもらったら、骨に異常はないとのことで診断は「捻挫かな?」であった。この後、三日三晩激痛に苛まれながら、ホテルの部屋に篭城することになるとは「神のみぞ知る」ところであった。バタヴィア滞在の後半はホテルのルーム・サービスで凌ぎ、ただただ帰国の日を待つという情けない日々となった。朦朧としながらガルーダ航空の機内に転がり込んだ時は、店主の瞳からウレシ涙がこぼれていたのでした・・・。(と言いながらも機内ではしっかり赤ワインで祝杯をあげました。ハハハ!)
関西空港に到着後、自宅近くの病院に直行。赤く腫れた左手を診て医師は「アッ、これはひどい。直ぐ入院しなさい」との厳命。かくして、帰国早々荷解きする間もなく一週間入院して、ただひたすら治療に励むことになりました。(店主はただ寝てるだけのことでしたが)その後の、奇跡的な回復と活躍?は既に皆様ご承知のところであります。
アッ、病名ですか?お医者さん曰く「細菌が侵入して炎症を起こしたもので、特に珍しい病気ではありません。ただ、何の病原菌かは不明です・・・」とのこと。来年あたり「リベンジ」を、と考えているのだが、今だ痛々しい左手を見るともう少し先にするか・・・と少々弱気の店主です。 (T◇T)
写真上 : 15世紀の大航海時代にバタヴィアを支配したオランダの帆船と港の様子。
写真中 : 跳ね橋から眺めるホテル・バタヴィア
写真下 : ジャカルタのスラバヤ通りにある骨董街
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