|
||
|
||||||||||
|
|
|
||||||||
|
|
8月末だと言うのに雨の降る日が多くなっている。夜中に降り始め朝方に止むことが多く、雨が上がると霧が立ち込めた小川の周りや棚田に朝日が差し込んできて、窓の外の見慣れた景色が幻想的な風景に変わり驚かされることがある。太陽が昇るにつれて影は後退し、光が溢れだすと平面的な日常の世界が広がって行く。 今回は、顧客のF様が店主より一足先にウブドに滞在すると聞き、TEGIG画伯に3日間ガイド兼ドライバーとしてバリ島の案内を頼んであった。客室と呼べるほどの施設ではないが、ギャラリーの裏に眺めの良いコテージが完成していたので、ギャラリーの紹介を兼ねて自慢のお部屋を見ていただこうと思う。実はその真下に次のプロジェクトとして、長期滞在者用のプール付1LDK貸しバンガローを建設中で、不動産賃貸業の真似事でも始めようかと思っている。ゲストのお世話はTEGIG氏の奥さんに担当してもらい、家族的な雰囲気の中で安心して休暇を楽しんでいただこうという計画だ。年内には完成の予定だが、問題は直ぐに借り手が見つかるかどうか…。とは言え、世界的な大不況とは裏腹に、今年の7〜8月のウブドのホテルは何処も満室で予約が取れないらしく、件のF様も改装工事中のホテルにやっと一部屋予約が取れたとのこと。これから不動産業に殴り込み(高々一部屋ですが…)をかけようとする店主にとってはウレシイ状況となっている。 さて、その日はウブドの中心にあるスパーホテルで優雅な休暇をお過ごしのF様をお誘いして、島内の一日観光をすることになった。助手のプトウ君の運転で島の北岸を目指して下のようなルートで出発した。
田圃が続く田舎道を抜け、シガラジャ街道に入ると道路は中央山脈を目指してグングン高度を増して行く。それに従い周りの景色も、広い田圃→棚田→野菜畑→果物畑→熱帯雨林(雑木林?)という風に目まぐるしく変わっていった。 高原に着いて直ぐに、有名な植物園を車で遊園することにした。広々とした園内は、訪れる人よりも植物の手入れやお掃除をする人の方が多いようだ。敷地内には蘭を始めとした各種の熱帯植物を集めたハウスが点在し、旅行者に開放されていた。火炎樹の木が話題になり探してみたが、残念ながら見つけることができなかったが、爽やかな高原の空気を堪能。その後、眼下に広がる湖に降りていった。 山の上にあるブラタン湖は、周囲を外輪山に囲まれた高原のカルデラ湖で、湖上に浮かぶようにして建つ11層の屋根を持つ寺院が有名だ。水上からの寺院の眺めを期待してモーターボートで湖を一周。15分で一周りのコースは1500円ほどの料金だった。 船を降り、道路わきのパダン風料理店でチキンの唐揚げがメインの昼食をとる。(このチキンの味が良かった!)その後、昔のバリ島の玄関シガラジャへ向けて坂道を転げるように車を走らせた。途中、荘厳な姿で有名なギッギッの滝に寄り道することにした。以前は無かった駐車場のようなスペースが道端に出来ていて、若いお兄さんたちが車を誘導している。経験からして、こういう時は必ずカネをとられることを知っているので少しイヤな気がしたが他にチョイスがない。するとさっきのお兄さんの一人が、ツアーガイドだと名乗って滝へのコースを説明し始めた。 始めは断ろうと思っていたが、村の若い衆25人が集まって歩道を整備し、途中にお土産屋を作って「村の産業」にしようと頑張っているとの説明を受け、情に脆い店主は感動してしまいガイドをお願いすることになった。 滝までは片道15分の道のりを、道沿いに生えている珈琲の木やパンの木などの植物の説明を聞きながら、渓谷をめがけて坂道をドンドン降りてゆく。途中、水着を持った若いヨーロッパ人を数人見かけた。清冽な流れの中で火照った体を冷やすには絶好の場所に違いない。 滝壺から響いてくる水音が近づくにつれ何か変だと気がついた。今まで見たことも無い幽玄な空間が目の前に現れた。ガイドが「これはツイン・フォールだ」と説明した。周りを岩壁に囲まれた仄の暗い空間に、白く輝く2本の水流が10メートルくらいの落差を流れ落ちていた。一人では怖くて近づけない「霊魂の場」のようで、背筋がゾクゾクしてくる。ウウッここは当に秘境…。 無論、今年のガイドブックにもまだこの新名所は掲載されていない。(以前、訪れた滝は直ぐこの下にあり、今はシングル・フォールと呼ばれている)ただ、滝の上の木からロープが吊り下がっており、それにぶら下がって遊んでいるようで気になる。自然の景観を売り物にしようと思うなら、一切の人口建造物を排除して、そのまんまの姿で保存する必要があるのだが…。 左の水流が湖から流れ出ている水で、右の水流が地下から湧き出ている水とのこと。地下水の方はそのまま飲料水として村で使っていると聞き、何処に村があるのかと周囲の渓谷を見渡すと、所々に藁ぶき屋根のようなものが見えている。帰り道に途中にある奥さんがやっているというお土産屋を覗いてみたが、残念ながら店主の気を引く品物は見当たらなかった。そこで、地下から湧き出る水をペットボトルに詰めて販売してはどうかと提案してみた。乾いた喉を潤すと同時に立派な記念品にもなる。どう考えても旅行者がこの滝壺を渡って水を汲みには行けないだろうから…。 その後、古都シガラジャを経て北岸の保養地ロビナ・ビーチに到着。イルカの銅像のある広場に面したレストランに陣取り、砂浜を眺めていたところ、以前に比べイルカ観光用の小舟がメチャクチャ増えていることに気がついた。当に足の踏み場もないくらいに砂浜に船が並べてあった。前回の苦い経験を思い出しながら冷たいドリンクで咽を潤した。 そろそろ、午後も遅くなり帰り支度をする時間になった。今回は新ルートを開拓することにして、地図を睨みながらブドウグルへ向かうほぼ直線(地図では)の山道を進むことにした。途中何度か道に迷いかけ村人に尋ねると、少し厳しいが道はあるので大丈夫だろうと言われた。次第に道は難所の連続となり、醜くえぐれた山道が右に左に鋭く折れ曲がり牙を剥きだしてきた。オマケにガソリンも少なくなり、引き返そうかと後悔し始めた時である。峠付近と思われる山中に突然、瓶詰のガソリンを売る家が現れた。1リットル入りの瓶に詰めたガソリンを漏斗で10回補給してもらった。地獄に仏とはこのことで、煙を吐きそうになったエンジンと、摩擦で擦り切れそうになったタイヤを一休みさせることができた。始めはニコニコして悪路を面白がっていたF様も、度を越した悪路の連続に一時は野宿することも覚悟したとのこと…。 山頂付近に着くとぽつりぽつり人家が見え隠れしだし、整備され道路が雄大な眺めの中を真っ直ぐに伸びていた。特に、タンブリンガン湖とブヤン湖が双子のように寄り添い眼下に輝いているのが美しい。目の前の崖をツバメの群れが上昇気流に乗って矢のように飛んでいる。このツバメ達の中には、赤道を越えた遥彼方の日本の梅雨空を舞っていた奴がいるかもしれないと思った。その後、夕暮れが迫る峠道をウブドの宿を目指して家路を駆け下りていった。
今年も半分が過ぎた八月末、又もやガルーダの翼に乗って南の島を目指して、炎天下の関空を飛び立った。いつものようにクラシックでも聴きながらお酒を飲もうと座席のパネルを操作したのだが、チャンネルが3つしかなく、クラシック音楽は何処からも聴こえてこない…。客室乗務員のお姉さんに窮状を訴えたところ、彼女も知らなかったらしくてアチコチ探してくれたが見つからず、最後は席を替えるようにアドバイスしてくれた。しかし、イヤフォンの故障ではなく、初めっから無いようなのだ。経費削減で遂に機内のエンターテイメントから、クラシックと日本歌謡がカットされていた…。確かにインドネシア人旅行者には無くても良いサービスかもしれないが、この路線の乗客は7割方日本人のハズです。(正確なところは分かりませんが…)カットする前に、せめて何が要らないのかアンケートくらいとって欲しかったです。最近の若い人は、どこに行くにも音楽プレイヤーを持参する人が多いようですが、持ってない人(中高年?)も多いので、せめてクラシック音楽くらいは残して欲しかった…。(涙) さて、店主がこの島に流れ着いてからカレコレ7年の歳月が流れただろうか。(モチロン魂のことで、カラダは年に3〜4回日本とバリ島を行ったり来たりの生活が続いている)これまで島の中央部に位置するウブドを拠点に、島のアチコチをうろついてきたのだが、今回は満を持して西の外れにある鹿の島「ムンジャンガン島」を目指すことになった。周囲が「バリ島随一のサンゴ礁の海」と呼ばれる割には、ガイドブックで軽く扱われていて情報量が極端に少ない。その辺りの事情をじっくりと現地取材しようというのが今回の狙いだった。 八月末のバリ島は乾季の終わり頃で、朝晩は涼しい快適な気候が続いている。その朝はけたたましい鶏の鳴き声に、暗いうちから目が覚めていた。窓の直ぐ下の木の枝に陣取る飼い鶏のオスが数羽、夜の明けきらないうちからコケコッコ〜とやってくれ、ニワカ愛鳥家には不条理に思えて我慢できない。朝食を食べながら、家主にこのうるさい鶏ども全部をサテーにしてくれと頼んだ。 その日の朝9時半に助手のプトウ君が運転する車でウブドを出発。ヌガラ経由で海峡の町ギリマヌ近くでお昼になった。街道沿いのパダン風ワルン(食堂)で質素なランチをとり、一路ムンジャンガン島への船着き場を目指した。この辺はかなり乾いている土地のようで、山全体が白っぽく見え木もまばらにしか生えていない。何処となく東海岸のアメッドに似た感じの景色だ。経験からしてこんな土地の海中は美しいところが多い。近くに大きな町が無いので海岸が汚染される心配も無いだろう。沖合にあるムンジャンガン島を含めたこの辺一帯は、インドネシアの国立公園に指定され、野生の動植物の保護区域になっている。 初めての場所なので少し心配だったが、メイン道路に面して船着き場があり、午後2時には迷うことなく目的地に着いた。入口にある受付の小屋で2時間コースのパック・ツアーを申し込む。料金は10人乗りの小舟とガイドのチャーター代が35万ルピア(約3千500円)で、シュノーケリングのレンタル代も含まれている。到着順に船を出すため待ち時間はセロだった。出発前に旅行のスケジュールばかりを考えていて、現地に着いて水泳パンツを忘れてきたことに気が付いた。売店でそれらしきモノを探したが見つからず、しかたなく下着のパンツで(傍目には水泳パンツに見えないことも無い)海中遊泳を決行することにした。 船外機が唸りをあげて小舟は沖合に浮かぶ緑の島に向けて出発した。(片道30分とは云うものの風向きによって倍の時間がかかることが後で分かった)島には寺院はあるが人は住んでいないため、野生の鹿の天国になっているとのこと。小さな島なので、ここに永住という訳にはいかないだろうから、ここの鹿もソノ時期になると仲間と一緒に泳いで海を渡って島に来るのだろうか…。島に着くと、海辺にある小屋で水着に着替えて来いと言われた。水着が無いのでしかたなくただ服を脱いでパンツ一丁になった。別に小屋に入る必要は無いのだが、如何にもここで水着に着替えたふりをしたのだ!砂浜で脚ヒレ(フィン)と水中眼鏡を着け、ガイド君の後ろについてイザ、シュノーケリング出発! ジャワ島との海峡に浮かぶ島ではあるが、潮の流れは殆どなくすぐ沖合にあるドロップ・ポイントにすんなりと着いた。この辺まで来ると海の中は当に竜宮城状態で大小様々なサンゴの間を色とりどりの熱帯魚が目の前を泳いでいる。水温が温かいため、水中1〜2メートルくらいまでだったらウェットスーツ無しで十分楽しめるが、日焼けを防ぐためにシャツを着たまま泳いだ。流れが緩やかなせいか、東岸のトウランベンの海よりも透明度が高いように思う。島の周りの海を2か所移動し1時間ほど海中散策を楽しんで帰途に就いた。帰りは向かい風の中、船底を波に叩きつけられ潮を体中に浴びながら倍の時間をかけて戻った。船着き場に着き、シャワーを浴びて潮を洗い流した。 陽が傾き出した頃にその日の宿泊地ロビナ・ビーチへと向かった。(近くのミンピ・リゾートは少々割高でしたので)この道は4年前に通った記憶があり、その時はまだ舗装工事中で、半分くらいは砂利道だったのと思うが、今はすべて舗装されていた。途中に葡萄の産地があり、道端で採れたての葡萄を一篭100円位で買って食べながら夕暮れの道を急いだ。 予約はしなかったが、以前泊まったニルワナビーチホテルが安く泊まれると知り今回もここに宿泊。夜は近くのイタリアン風?レストランで濃すぎるソースのスパゲッティと薄っぺらなピッザの夕食となった。一人前の値段なんだから、この2倍くらいのボリュームが欲しいところだ。小食の中年日本人がそう思うのだから、この土地の常連客オランダ人とドイツ人にとっては、かなり寂しいお店と思われているに違いない。ここでもインターネット・カフェが流行っていて、2〜3件のお店が軒を連ねて並んでいた。ここでメールのチェックと日本及び世界の情勢をチェック。気になる我が国の衆院選挙が間近に迫っているが、民主党圧勝の状況は変わっていないようだ。日本のテレビもラジオも無い生活ではあるが、日本を発ってまだ5日目なのでさほどニュースが恋しい訳でもない。しかし、これが長期滞在で数カ月にもなると、このインターネットが神様のように思えてくる気持ちが分かる。メールは愚か、最近はテレビ電話も(モチロン普通の電話も)出来てしまうのだ。ただ、ディスプレイの前で大声を出したり、泣きだしてしまう人がいたりすると、周りがとても気まずくなるのが玉に瑕ですが…。 翌日は、昨日来た道を戻って、最近完成したという「ムンジャンガン・ジャングル&ビーチリゾート」を探検に出発した。道路端にそれらしい標識があるので迷うことはなかった。入口にある受付小屋の係員に、見学しにきた旨話したところ無料で中に入れてくれた。でこぼこ道をゆっくり車を走らせて敷地内を見学できるようになっている。 樹木の中にガイドブックで見た一際高い木造の建物が現れた。レストラン+休憩所として利用されているらしく、中でもトイレは清潔で広々としていて、遠慮なく利用させてもらった。中に螺旋状の広い階段があって、最上階の6階まで続いていた。ここからの眺めは絶景で敷地内を一望でき、コバルト・ブルーに輝くバリ海峡から遠くジャワの山並みが霞んで見える。 入り口のロビーに、施設全体の見取り図や写真で案内するボードがあった。敷地内のスパ&リゾートは、どうしてここまでしなければならないのだろうかと不思議に思うほどの豪華さで、当然のように宿泊料は目が飛び出るような料金設定だった。いったい誰をここに泊めようというのか。外国の賓客用の別荘ということなのか…。自然環境を保護するには、まずは住民教育が大切で、それを実行する組織や施設の建設こそが大事だと思うのだが…。これでは、お金持ちの外国人旅行者に「我が国は自然保護に力を要れてます」的な宣伝施設に見えてしまう。帰り道に野生の小鹿が一頭、目の前を横切るのが見えた。しかし、カンムリ・シロムクの姿も鳴き声を聞くことも無かった。
夕闇迫るグラライ空港の到着ロビーを出ると、助手のプトウ君が懐かしい笑顔で出迎えてくれた。初めてこの空港に降り立ってから、幾年月が流れたのだろうか。前回の出張から5ヶ月が過ぎ、アノ時に生まれた彼の次女は元気に育っているとのこと。世界的な金融危機の波がこの島の庶民の暮らしにも影響が及んでいるのだろうか?ガソリンの値段が2〜3倍になっても道路に溢れかえるバイクの数は減っていないように思うが、どうやら通勤に欠かせない移動手段なので、同僚と相乗りしたりして凌いでいるようだ。 今回は、日本で古くから飼育され愛鳥家の間で人気の高い「文鳥」が、実はバリ島(それにジャワ島)の出身(原産地)で、今では現地でも幻の野鳥となっているとの情報をある文鳥愛好家より得たため、彼らが野鳥としてどんな環境で生活しているのかを現場取材したいと考えていた。
バリ島に着いて3日目の朝。仕事も一段落して、さて何処に行ったら野生の文鳥に逢えるのか、家主のTEGIG画伯に相談してみた。すると窓の外の水田の上を小さな野鳥が飛んでいる姿が見えた。もしかしてと思いデジカメの望遠レンズで観察してみると色こそ地味な茶系だが嘴のカタチからして文鳥の仲間のように見える。ヒョットしたらこれが文鳥の原種ではなかろうか?もしそうだとしたらこれは学術的な大発見(少々オーバーか)になるのでは・・・。我ながら情けないのだが、興奮してカメラを持つ手が震えてきた。
遥彼方の木の枝でピーチクやっている野鳥の姿をカメラに収めるというのは至難の業である。最大限の望遠にするとお目当てのポイント(枝)を見つけるまでが大変。普通は三脚を使ってカメラを固定するのでしょうが、そんな道具を持ってる訳もなく、ひたすら体を壁にくっつけて震えを止めるぐらいしか能がない。一枚くらいボケてない写真が撮れることを祈りつつ、手ブレを抑えるためできるだけ静かに何度もシャッターを押し続けた。 毎日朝な夕な観察してみると、彼らは小さな群れで道路で分断された水田地帯をあっちに行ったりこっちに来たりしているようだ。この家の周りには高い木が無いので屋根の上が彼らの見えない通路になっている。素早い動きで枝から枝へと仲間同士で追いかけっこしているが、雀のように地面に降りることは無いようだ。何のことはない、敵は(文鳥は)朝晩店主の頭上を飛び交っていたことになる。こちらが気付かなかっただけで、彼らの縄張りの中に住んでいたということになるのか・・・。
さて、久しぶりに海が見たくなり、島の東側にあるチャンディダサ海岸を目指した。途中に「バリ・アガ」(注)と呼ばれる人々の暮らすトウガナン村がある。この村はアタと呼ばれる水草で編んだ籠製品の産地としても有名で、観光客に人気のスポットだ。恥ずかしながら、これまで一度も足を踏み入れたことがなかったので、今もバリ島の古い生活習慣を受け継いでいると云われる集落を探検することにした。アチコチ捜してみたものの、綺麗なブルー系の模様をした種類の鳥は何処にもいないので少し気になる・・・。それではと思い、ウブドの街中の小鳥屋さんに行ってみたところ、日本の文鳥と同じ色の文鳥が数羽オカメインコと一緒に籠の中にいるのを見つけた。他の郊外の小鳥屋さんでは、似た形のしかし明らかに地味な色の「ノラの文鳥?」らしい小鳥が籠に入って売られていた。 よそ者が村に入るには入村料が必要で、入口付近の料金所みたいな小屋の側に係員らしいオジサンたちが屯している。お釣りをもらおうと思い10万ルピア札を出したところ「トウリマカシイ」と言われそのまま全額持っていかれてしまった。あまりのことに、チョット待ったア〜!と言おうとしたところ「寄付金」ですのでココに署名してとノートブックを渡された。他人の署名欄を見てみたがこんな大金を払っているバカはどこにもいなかった。ウ〜ンやられた・・・。(T_T) こうなったら何処かで元を取らねばと思い、取材にも気合が入ってきた。 村は広場を挟んで家々が軒を連ねるという感動的な造りで「共同体」を強く意識させられる構造だ。焦げてしまいそうなキツイ日差しの広場の中心には、祭壇や舞台それに穀物倉などがあり、その側で牛のお母さんが子牛に授乳していた。この村では牛たちに敷地内を自由に歩き回る権利を与えているようだ。それとは対照的に周りの長屋風の家々の中は薄暗く、その分涼しく感じられる。内部はお土産屋さんになっていて、採光のためか中庭があり、色とりどりの織物や木彫りのお面、青銅の神様などがびっしりと並べてあった。 その中の一軒に、グリンシンと呼ばれる伝統的な経緯絣織物の製作現場を展示しているお店があった。お店番をしていたのは若い美人姉妹で、とても疲れる作業で大変なんですよ、とこぼしながらも店主の頼みを聞いて実演してくれた。右の写真がその様子で、こんな姿勢で長い時間作業したら、目も腰も直ぐに使い物にならなくなってしまうだろうなア・・・と感嘆したのだった。 可愛い姉妹にここまでサービスしてもらい、写真も撮らせていただいて手ぶらで帰ることは出来ない。ナニかないかと探したところ、手頃なサイズのイカット布を見つけた。お坊さんのような人の模様が織られていたので、誰かと尋ねたら豊穣の女神スリ様とのことだった。衣服であると同時に儀式にも使う神聖な布で、一日かけても数センチしか織れない骨の折れる仕事だと言われた。 確かこの辺りの集落の人たちは、同じ村の人同士での婚姻しか認められてなかったのではなかったかと思いだした。いくら昔の伝統が受け継がれ強い絆で結ばれた一族とはいえ、彼らもテレビを見てバイクに乗って生活しているのだから、何時までもそんなことは言ってられないだろう。伝統文化というカタチは残っても、村人の生活習慣は現代社会に向かって劇的に変化しているはずと思う。 この島で生まれ育った「文鳥さん」たちが、その昔、海を渡って遥々「日の出ずる国」まで渡って来たように、「バリ・アガ」と呼ばれる村に生まれたこの娘さんも、いつか村を出て新しい世界に旅立つことを夢見ているのではなかろうか・・・。 (注) カランガッサム州にあるトウガナン村のように、ジャワ・ヒンドゥーの影響をあまり受けず、伝統的な習慣を強く守り、独自の社会が保持され続けている集落や人々をバリ・アガと呼ぶ。 |
■ ブラウザの「戻る」で前のページにお戻りください ■ |
|