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バリ島海岸(バリ島旅行記)
バリ島の海辺をウロツク店主
店主の旅日記(バリ島旅行記) 名も知らぬ 〜♪
遠き島より 〜♪
流れ来る 〜♪
椰子の実一つ
 〜♪
さすらいのアートディーラー(店主のこと)バリ島の海浜を彷徨う…。なんかイイモン落ちてないかな?とウロついてると…古そうな小銭を拾って大喜び!「ナンデモ鑑定団」に持ってくとひょっとして??(^∇^)??そしたら葬式の副葬品だって… 。あの世に持ってったら高く売れるかな… (^^ゞ 目次に戻る
ウブド郊外よりバトウカル山を望む
ウブド郊外よりバトウカル山を望む






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バーベキューは楽しいの巻 〜コテージLIPオープニング〜 2010年6月

コテージLIPからの眺め(夕暮れ)

朝5時に起きてまだ薄暗い道を、テギ画伯の運転するバイクでウブドの市場へと向かった。観光客で賑わうウブド市場は何度も足を運び知っていたのだが、こんな朝早くに来るのは初めてのことでチョッピリ緊張した。庶民の胃袋として別の顔をした市場では、昼間のような客引きをする声も、ウトウトとまどろむような顔もなく、誰もが黙々と立ちふるまっている。その日の夕方に予定しているバーベキューの食材を何処で調達したら良いかと尋ねたら、朝市が良いとのことで案内してもらった。普段はビンタン等のスーパー・マーケットで買い物をしているのだが、こういう時は市場で安く仕入れるに限る。日の出前だというのに、市場の駐車スペースは、既に溢れんばかりのバイクや自動車でごった返していた。

早朝のウブド市場陽が昇り暑くなる前に、その日の食糧を市場で買い揃えるのが地元の人々の日課のようだ。テギさんの案内で、先ずはメインとなる肉と魚を買いに、半地下へと続くスロープを降りて行った。雑多な食材に溢れ、行商の溜まり場のようになった薄暗い空間には、バリの人々の生活の臭いが染みついている。新鮮な大型の魚を探して数店回ってみたが、売り切れてしまったのか見つからなかった。仕方なくツナ(マグロ?)と呼ばれる切り身を買ったが、身が白っぽいので多分カジキではないかと思う。(バーベキューにしたら意外と美味かった!)他に川エビを大量に袋に入れてもらった。次は鶏肉をナタで威勢よく切り刻んでいる、ムスリムのお姉さんの店で骨付き腿肉を大量に注文した。値段を聞いたら思ったより高かったので文句を言うと、相場の値段とのことでコチラの思い違いのようだ。そう言えば、肉はあくまでもご飯のオカズで、それだけをお腹一杯食べるのはゼイタクなこと。多分いっぱい買いすぎたのだろう。その後に野菜をアレコレ買って袋に入れてもらうと、既に持ち切れない状態になってしまった。最後にだめ押しで、頭のサイズほどのスイカとメロンを買いこんだ。これだけのものをバイクで持ち帰ることができるのか不安だったが、ナントカなるものだ。バイクは地元の人たちにとって自動車と同じで、一台に夫婦がそれぞれ子供を抱え4人乗りしているのは良く見る光景だ。たまに5人乗りを目撃することもある。こちらでは定員という言葉は死語のようで、お祭りの時などはトラックの荷台に村人たちを満杯にして走る姿をよく見かける。

完成したバーベキュー・セットそもそもの始まりは、テギさんの奥様のツブヤキということになる。ここでワルンをやりたいので協力して欲しいという。家の前の道路を旅行者が沢山歩くようになったので、彼らをお客さんにしてバビグリンやナシ・ゴレンを売るワルンをやりたいのだという。数年前まで地元旅行会社の委託で、団体客に昼食をサービスしていたのだが他に移られてしまい、暇を持て余しているのだろう。ウ〜ンそれにしても、どうしていつもバビ…とかナシ…料理になるのか?他に食べさせるものは無いのだろうか?

そうこう考えているうちに、前日に皆で食べに行ったスぺア・リブのお店のことを思い出した。道端でジュージューやって辺り一帯に匂いと煙を撒き散らし、テーブルに座れない客が道路にはみだすほどの人気ぶりだった。そうか、欧米の旅行者にはバーベキューが受ける!すると「肉と野菜のバーベキューセット」なる新メニューが、神のお告げの如く店主のアタマに閃いた。食べ物屋をやるんだったらこんなお店にしなければ面白くない。

さっそく道路に面した庭の一角にブロックを積んで、本格的なバーベキューセットの建設に取りかかった。設計図も無いまま地面にコンクリートで土台を作り、ブロックを積んでほぼ二日で完成。ゴミ焼却炉に似た感じがしないでもないが(笑)特製の鉄グリルを乗せるとそれらしく見える。皆で力を合わせて何かを造るのは楽しいものだ。今年完成した貸コテージのオープニング・パーティーをやりたいと思っていたので、このバーベキュー台のオープニングを兼ねて、友人たちを招待して、新メニューの試食をしてもらうことになった。

日本から、顧客のU様ご夫妻がウブドに滞在されていて、日本語ガイドのイッポン君が案内役をしていたので、彼の家族と一緒に来てくもらうことになった。貸コテージに滞在している、フランス人ファミリーにも声をかけたら喜んで参加してくれるとのこと。これで総勢15〜6人くらいになり、オープニングには十分の人数となった。自然と準備する店主にも気合が入り、テギさん一家にフランス人一家、それにプトウ君も加わり、串焼き用に肉や魚、野菜を切ったり串刺したり、準備に大忙しとなった。
大忙しのバーベキュー・マスター(中央)イッポン君
(写真左からプトウ君、テギ画伯、イッポン君、一服するご主人と奥様のU様ご夫妻)

陽が傾き出した夕方5時ころにスタート。椰子殻で作った炭に火をおこし、鉄グリルの上に鶏の腿肉を人数並べる。その周りに、串刺しにした玉ねぎ、茄子、ピーマン、マッシュルーム、トウモロコシ等の野菜軍団で固める。野菜は火が通るのが早いので、焼きあがったものから順次食べ始めた。バーベキューは食欲を刺激するためか、多めに用意した串刺しが気持ち良く無くなっていく。U様が持ってきてくれたビンタン・ビールをぐびぐびやりながら、焼け具合を見たり食べたりの大忙しとなった。それにしても、大勢集まっての野外の食事は楽しいものだ!準備したスタッフ?の方々は皆初めての経験だったが「新メニュー」の評判は上々のようだ。デザートに水で冷やしたスイカとメロンを食べてお開きとなった。。

翌日、テギさんの末息子のコマン君に、「ねえ、次はいつやるの?」と催促されてしまった。実は、前日のイベントに張り切り過ぎて、少々疲れていたので「ベソ(明日)」などと適当なことを言ってしまった。彼にとって初めてのバーベキューで、遊びに来ていた近所の子供たちと一緒に大はしゃぎだった。子供たちに一番人気が高かったのは焼きトウモロコシだ。仕掛けは完成しているので、次回からは「お好きな時にご自由にどうぞ!」ということにしたいのだが…。


文鳥とジャワショウビン 〜俄バード・ウオッチャーの観察記〜 2010年6月

水田のジャワショウビン

バリ島のカワセミはジャワショウビン又はトウンケッ(Burung Tenggek)と呼ばれ、英名はキング・フィッシャーになっている。もっとも日本のカワセミとは別の種類なので、カワセミの仲間ということになるのか。小川の側や水田を見下ろす小高い枝の上から獲物を狙っている姿を何度か見かけたことがある。薄暗い木陰の中を、朝の光を浴びてキラキラ輝いて飛翔する姿は、神々しいばかりの美しさでした。(参照HP

水田のジャワショウビンと若い白鷺この島では植物の生長が早く、放っておくと直ぐに枝が茂って鬱陶しいことになる。店主の定宿コテージの庭も、パンの木とマンゴーの木の枝が伸び放題になり、せっかくの棚田風景が見えにくくなっている。家主のテギ画伯に状況を説明するも、「木の持ち主が死んでるので勝手に移動できない」とか「枝を払うのは神様に訊いて一番良い日を選んでもらおう」とか言って、なかなか話が進まない。渋る家主を説き伏せて枝払いができるまで一週間かかってしまった。一度も実をつけたことのないマンゴーの木は、以前、夕方になると枝に鶏が陣取り、毎朝コケコッコ〜と頭の近くで絶叫するという因縁の木だったので、根元からバッサリと切ってもらった。次に入口正面のパンの木は、半分から上を切り落として風通しを良くしてもらった。すると、今まで見えなかった棚田風景が突如として現れ、はるか地平線の椰子の林まで続いている。絶景ともいえる借景が木の枝に隠れてしまっていたのだ。ウンウンこれで良い、こうでなくてはと納得する店主だった。


餌を咥えたジャワショウビンそれは翌朝のことだった。前日に切り落とされたパンの木の上から、小川の側に広がる棚田風景を見ていると、耕され水が張られた田圃にココカンこと「白鷺」が細長い脚で歩き回っている姿が見えた。その近くで水面すれすれに飛び交う二羽の黒っぽい鳥の姿を見つけた。50メートルくらいの距離か。天気が悪くて暗いため、どんな鳥なのかよく分からない。もしやと思い、直ぐさま愛器キャノンを取り出し望遠で見てみると、ジャワショウビンの番が直ぐそこにいるではありませんか!掘立小屋のトタン屋根をベースに、目の前の水田を漁場にしているようだ。すると、一羽が黒い細長い紐のようなものを咥えて首を左右に振っているのが見えた。思わずシャッターを切った後、祈るように録画モニターを眺めてみる。確かに何かを咥えた姿が映っている。店主の勘では「田鰻」ではないかと思う。バリ島の水田にはこの魚が多く、田鰻捕りを趣味にしている男どもが多いと聞く。ピンボケがきついのが残念ではあるが、部屋の中から撮ったショウビンの写真は自慢できるのではないだろうか?その後1時間ほどして二羽のショウビンは小川の木立の中に消えて行った。

文鳥のモモとビルバリ島は、赤道に近い割には凌ぎやすい気候で、熱帯とはいえ冬(乾季)になると朝晩は肌寒いくらいの気温に下がる。三千メートル級の火山の山裾にはいつも雲が湧きあがり、麓に雨を降らせるため水が豊富にあり、ミネラルたっぷりの火山灰が植物に豊かな実り与えてくれる。神様からの贈り物「奇跡の島」と呼ばれるのは、そんな恵まれた自然条件を讃えてのことかと思うほどだ。そんな島に野鳥として住んでいたのが文鳥で、近年高値で売買されるようになったため捕獲の対象になり、急激にその数を減らしてしまったらしい。その証拠に、バリ島の花鳥画であるプンゴセカン・スタイルの古い絵に、野鳥として描かれた文鳥の絵が残っている。

さて、バリ島での毎朝の日課は二羽の文鳥のお世話から始まる。先ず、飲み水と水浴び用のケースを洗い、きれいな水に入れ換える。次に餌の穀物が入ったケースを取り出して、中身が空っぽの食べ殻を吹き飛ばし、新しい穀物を継ぎ足す。3日に一度は糞の掃除で篭を水洗いする。

野良の文鳥の館発作的に2羽の文鳥を飼い始めたのは去年の12月のことで、日本のある文鳥愛好家に強い影響を受けたものと思われる。飼い始めた時は、青色の文鳥がボス的な存在で大きな顔をしてたが、今回見ると白い方が落ち着いて貫禄がある。お店の人に生後3ヶ月の幼鳥だと言われたので、そろそろ9ヶ月になるはずだ。店主がお世話するために近づくと、青文鳥はバタバタと篭の中を逃げ回るのだが、白文鳥はキョトンとした面持ちで店主のことを観察している。口笛を吹くと一緒に声を出してくれるのも白文鳥の方だ。名前は青がビルで白がモモに決まった。ビルとはインドネシア語で青色を意味する。(正確にはビルー)たぶん♂だと思う。ビルの連れなので白文鳥の名前をヒラリーにしようかと思ったが、特に好きな人たちではないのでやめた。白い羽根に嘴のピンクが可愛いので桃色のモモに決定。たぶん♀だと思う。若い椰子の実をくり抜いて、中に好物の稲穂をたんまりと押しこんだ「愛の巣?」をプレゼントしたのだが、一向に中に入る気はないようだ。稲穂には興味津々で直ぐに穿り出して突っついている。2〜3日は籠って子作りに励んで欲しいと思っているのだが、まったく理解してもらえないようだ。このカップルはまだ若すぎるのか?それとも偽カップルなのか・・・? (T_T)

出発前にネットで調べてみると、バリ島で野生の文鳥が見える場所を紹介しておられる方がいて、ジャワ島にまで足を伸ばされたようだ。渡航の目的が「野生文鳥の探索」というから筋金入りだ。(^^ゞ 情報では、スミニャックのホテル・ソフィテルという豪華なリゾートホテルに住んでいるらしい。正確には、敷地内の何処かの軒下を勝手に占拠して住居にしているらしい。まさかレセプションでお宅でお飼いになってる野良の文鳥に会いに来たとは言えず、知人に会いに来たような素振りで中庭を見学させていただいた。アチコチ見渡してみるもそれらしい姿と声は何処にもみつからない。そう言えば、クルクルとか書いてあったことを思い出した。駐車場の側の立派な石塔が怪しそうだ。近づいてみると塔の屋根の下から小鳥の声が聞こえてきた。肉眼では見えないが、カメラの望遠レンズには確かに文鳥らしい姿が見えている。見た感じでは10羽くらいの群れか?並文鳥と呼ばれるポピュラーな種類の他に、真っ白な文鳥も見える。(参照:文鳥の歴史と品種)野生の文鳥かどうかは判断が付き兼ねるが、野良であることは間違いなさそうだ(笑)。ここは広大な庭が広がる私有地で捕獲される心配はなさそうだし、少し行けば周りに田圃があるので、餌を探すのにも便利なのかもしれない。ここではかろうじて、人と文鳥が共存しているということなのか。彼らの数が増えるとお米を作る農家の人たちが困るだろうし、かと言ってこのままでは絶滅してしまいそうだ。この島で野鳥としての生存は無理なのだろうか?果たして「地上の楽園」に難しい問題が又一つ増えてしまった・・・。

屋根裏の野良の文鳥 屋根裏の野良の文鳥



モンキーフォレスト通りの熱い夜〜サッカー・ワールドカップ観戦記〜2010年6月

デンパサールの鳥市場

本番を目前に不甲斐ない国際マッチを連発し、監督の辞任論まで飛び出した日本代表チーム。しかし、ここまで来たら後はベスト4(笑)を目指して全力で戦って貰うしかない。家族にはこんな時期に?バリ島で試合見れるの?と不審がられながらもワールド・カップ南アフリカ大会を直前に、じりじりと熱くなってきた列島を抜け出して南の空へと旅立った。

二羽の文鳥(モモとビル)つい最近ガルーダ航空の特権として、機内で入国検査を行い、到着後に入国審査の長〜い行列に並ばなくて済むようになったとのこと。ところが店主は機内で入国審査を断られてしまい、(関空でビザを購入してなかったため)いつものように到着後にビザを購入して入国審査の列に並ぶことになってしまった(涙)。係員が「ビザは機内でも買えます」と言ってたのにこの対応です…。特権には縁がないのか?まあ、これくらいの仕打ちにはヘコタレませんぞ〜!でも、せっかくなので次回からは機内で済ませたいものです。(T_T)

2月に工事したウブドの貸コテージの階段と通路は、崩壊することなく無事のようでホッと一息。高温多湿で雨の多い土地なので油断できないのだ。翌日からフランス人ファミリーが2週間ほど宿泊予定とのことなので、室内のチェックをしながら足りないものを買い揃えることにした。今回は、上にある店主の部屋の隣のオープンスペースにキッチンを造る計画だ。滞在中に完成させるべく、大急ぎで工事を始めることになった。コチラでは、資材は全て発注者が買いそろえ、大工さんたちは工事をして手間賃をいただくというシステム。だから工事の金額や期間の見積もりなど全て発注者が自分でしなければならない。家を建てている時は仕事に行く暇はなく、朝から晩まで資材の調達と現場監督という状態が普通のようです。

そうこうしてるうちに、ついに戦いの夜がやってきた。助手のプトウ君と共に、テギさんの息子に教えてもらった大スクリーンのあるモンキーフォレスト通りのカフェへと向かった。通りのアチコチからバリ舞踊の音楽が流れ、街の様子は普段と変わらない。地元インドネシアのサッカーチームはアジアでも弱い方なためか、現地の人たちは殆ど関心がないようだ。そう言えば、オリンピックの時も同じだった事を思い出した。TVのニュースで放送しないのだ!

ワールドカップの観戦風景さて、WC日本代表チームの今晩の相手は強豪オランダだ。勝てないまでも、アジア代表の意地を見せて欲しいものだ。店内を見渡してみるとテーブル席は既にオレンジカラーを纏ったオランダ人をメインに、ヨーロッパ人客でいっぱいになっていた。日本人らしい顔は何処にも見当たらない・・・。仕方なく最後部のベンチ席に陣取って観戦することになった。ここは長い間オランダの植民地支配が続いた土地。当に「アウエイ」状態での応援となり、「皇国の興亡、この一戦にあり!」といったところか。緊張すると貧乏ゆすりする癖のある店主に、隣に座る中年夫婦が声をかけてきた。ご挨拶すると、なんとヨーロッパ一の親日国民であるドイツ人旅行者であることが判明。カメルーン戦での日本チームの活躍を褒めていただいたものの、残念ながら見ていなかった。お返しに、前日観戦したドイツXセルビア戦での敗戦を慰めてやった。昔の同盟国という心強い味方の登場に思わず嬉し涙がでてきた・・・。

試合開始直前に、目の前のテーブル席に陣取るオランダ・チームのサポーターに「アナタハ ニホンジンカ?」と訊かれ、「ダイジョウブ、ニホンニハ ホンダ イルヨ ソレニ スズキ トヨタ モイル・・・」と、言ってやった!これじゃまるで日本車のセールスマンだなあ・・・。(^^ゞ

試合が始まると、オランダチームの怒涛の攻撃にカフェ全体が大きくどよめき、日本チームが反撃すると後部座席からパチパチパチと店主の拍手が鳴り響くという展開が続く。しかし、スナイデル(シュナイダーのことか?)の強烈なミドルシュートで決着がついた。試合が終わり相手チームのサポーターと握手を交わし、お互いの選手の頑張りを讃えあった。

思えばこの地(バリ島)は、今を去ること70年ほど前にオランダ軍と日本軍が開戦した場所である。その時はサヌール海岸に上陸した日本軍が、わずか一日でオランダ軍を打ち破り、バリ人を長い植民地支配から解放してやったと聞く。(実際はオランダと入れ替わっただけの事)しかしながら日本代表チームはこの夜の試合に負け、店主は相手チームのサポーターから「クロス・ゲーム(接戦?)だったよ!」と慰められたのだった・・・。(T_T)

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