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バリ島海岸(バリ島旅行記)
バリ島の海辺をウロツク店主
店主の旅日記(バリ島旅行記) 名も知らぬ 〜♪
遠き島より 〜♪
流れ来る 〜♪
椰子の実一つ
 〜♪
さすらいのアートディーラー(店主のこと)バリ島の海浜を彷徨う…。なんかイイモン落ちてないかな?とウロついてると…古そうな小銭を拾って大喜び!「ナンデモ鑑定団」に持ってくとひょっとして??(^∇^)??そしたら葬式の副葬品だって… 。あの世に持ってったら高く売れるかな… (^^ゞ 目次に戻る
ウブド郊外よりバトウカル山を望む
ウブド郊外よりバトウカル山を望む






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バリ島の夜は更けて  〜オダラン初参加の巻 〜 2011年1月
村外れのオダラン行列

3月にウブドに一ヶ月間滞在予定のインド人のお客様から、現地の天候の問い合わせがあった。「店主は日本に住んでいるので勘弁して欲しいのですが…」と断るわけにもいかないので、現地に問い合わせたりインターネットで天気予報を調べたりしている。しかし、まあ、インターネットとは便利なもので時間毎に気温、湿度、降水確率などが表示されるHP(バリ島天気予報)を発見。ついでに今後一週間ほど同じパターンの天候が繰り返されることまでわかった。夜8時ころに降り始めた雨が明け方まで続き、夜明けと同時に晴れ上がって日中は気温が29度まで上がるとのこと。毎日同じ調子ですからテレビで天気予報をやらないのも肯けます。「エ〜明日の天気は、日中は晴れたり曇ったり、夜は所により激しい雷雨が来るでしょう。最低気温は27度で最高気温は29度…」これではバカバカしくて誰も見ないでしょう!


お供え物を奉納実際のお天気はというと、店主が滞在していた1月初めのウブドはこんな感じでした。「夕方になると雷鳴と共に黒雲が押し寄せ、天の湖の底が抜けたかと思うようなドシャ降りが小一時間続き、庭は雨水が溜まって池のようになり、小川が氾濫して道路は川のようになって流れ着いたゴミが散乱。その後明け方まで雨がシトシト降ったり止んだりの状態が続く。」ただし、この雨雲はさほど大きくないようで進行方向から外れた隣村では一滴も雨が降らないこともしばしばでした。それと、ウブドは山裾に近いせいか海岸部よりは気温が2〜3度低いことが知られています。結局インドのお客様には、例の天気予報HPと店主の体験的コメントを連絡してご勘弁願いました!

さて、今回渡バリ9年目にして初めてオダラン(注オダラン)に参加させてもらうことになった。助手のプトウ君が、村のガムラン音楽隊で演奏しているという話は前々から聞いていたがこれまで一度も見たことがなかった。何度か誘われたのだが終まで見届ける自信が無くて断り続けていたのだが、意を決して彼の雄姿を見に行くことになった。


観光客用のバリ舞踊劇を観ている時でさえ途中で転寝をしてしまうことが多く、うす暗い席であの音色を聴いていると、心地よい眠りに誘われてしまうのは店主だけではないと思うのだが…。
境内でお祈りする村人その日は早めに庭の工事作業を止めて汗を流した後、夕方6時にその夜の舞台となるタンパクシリン村へと出発した。プトウ君の家で彼の衣装を借りて正装した俄バリ人に変身して、暗くなった夜道を車で寺院へと出発した。寺院の前は既に夜店が並んでいた。駄菓子屋、玩具屋、豆腐のお菓子屋、バリ風焼鳥屋等もろもろの夜店で賑わっていて、祭りはやはり夜だと嬉しくなる。

仕事の都合とか結婚とかで村を離れた人たちもこの日はお里帰りするようで、海辺の町に住んでいるプトウ君の従兄が家族連れで参加している。お嫁に行って村を離れた彼の妹が大きなお腹で里帰りして友達と楽しそうにおしゃべりしている。小さな島なので里帰りには苦労しないのが羨ましい。不必要に長距離を移動し過ぎているような気がして反省することしきり。

オダランは寺院の建立を記念するお祭りで、バリ島の暦で日取りが決まるため1年に2度ほど行われる。そこで、君の村には寺院がいくつあるのかと訊いてみたところ8つほどあると言う。すると8か所で2回だから1年で16回ということになる。その他に、ご先祖様をお迎えする行事ガルンガンを筆頭に諸々の大切な祭事が5〜6回はあるはずだから、それだけで1年に20回以上ということになる。

村の行事に参加しすることは村人の大切な義務であるため、病人でない限り仕事を休んで奉仕作業を行い、夜を徹して祭礼に参加するという。祭礼に費やすおカネも労力も、正直言って半端なものではないハズだ。道端で連れだってボーッとしてたり、村外れの櫓の上で昼寝をしてたりする島の男たちを見る目が少し変わってきた。彼らも案外忙しく動き回り、立ち働くことがあるのだ!
祭壇の中央に祭られたバロン神

村のガムラン楽隊(上段中央で演奏するプトウ君)割門を通って境内に入ると、既に中庭には村人たちが隙間もないほどひしめいて座っている。中央では僧侶らしい人が経を唱え、その声に合わせて清めの儀式を行なっている。入場すると同時にお供え物を祭壇に供え、儀式が終わるとお供え物と一緒に境内から退出ということになる。20分間隔くらいで同じ儀式を繰り返し、その度にお参りの人々が交代していった。俄村人となった店主も教えられた作法に従いヒンドウの神様に家内安全、商売繁盛、生涯現役、ゴルフ上達など、思いつくだけのお願い事をしながら聖水をかけてもらった。

儀式を終えた後、いよいよプトウ君が楽団の演奏に参加することになった。いつ始まっていつ終わるのか予断を許さないのがこの演奏で、入口付近に設置された専用席に30人くらい陣取って演奏が始まった。撮影しても大丈夫とのことだったが、流石におおっぴらにフラッシュを焚くのは気が引けてしまい、物陰に隠れるようにしての取材撮影となった。大きなカメラを首から下げているのは店主くらいで、恥ずかしいくらい注目されてしまった。

門前に店を出していたバリ風焼鳥屋でサテーとビンタン・ビールを購入。ビールを見つけた時はヤッターと思ったのだがもろに生ぬるい。冷えたものは無い(涙)といわれたが、あくまでも冷たいビールに執着する店主は、氷を見つけてきてビニール袋に入れて冷やすことに成功!時間はかかるが少しは冷えてくれたビニール袋入り瓶ビールをチビチビ飲みながら妙な味のタレに塗り固められた焼鳥を齧った。油で揚げた豆腐のお菓子にも挑戦してみたが、甘い豆腐を食べたことがないためか不思議な味だった。

子供のガムラン楽隊 怪しい集団(賭けごと?)
暗がりにオトコ衆が集まる怪しそうな集団があり、中から時折歓声が聞こえてくる。さては名物の「闘鶏」でもやってるのかと覗いてみると、象、サル、犬、虎、蛇などの動物が描かれた絨毯の上で、サイコロを使った賭場が開帳していた。目付の鋭い男が中央に座り、その周りに大人や子供が集まって小銭を賭けて遊んでいる。絨毯の上に掛け金を放り投げて、それでどうやって間違わずに配当金を分配できるのか不思議に思った。正直者ばかりで、嘘を吐いて掛け金を騙し取ろうとする輩はいないというのか?同元かと思われる男の人相は最悪で、こんな奴に絡まれたら寿命が縮まりそうだ。いずれにしても大した金額ではなさそうなので、危ない橋を渡っていかさま勝負するアホはいないということか…。ハハハ (^^ゞ




熱帯ガーデン誕生秘話  〜楽園に出現した展望台の巻 〜 2011年1月

完成した「展望台」

半年ほど留守しただけなのに、ウブド郊外のギャラリーLIPの周りに見慣れない建物がポツリポツリと増えていた。南の方角にあるシンテッグ・ギャラリーの隣の家はインドネシア風?のインターナショナル・レストランに変わり、その途中の田圃の中には新築の竹造り3階建インド料理店が筍のようにそびえ立ち、風になびいて揺れていた。大風が吹く度にアノ店は大丈夫だろうかと心配になる。その奥にはヴィラ・マンディという名のリゾート施設が完成している。工事前の庭と移動前のサンガ(神様)ウ〜ン、このままではギャラリーの周りはヴィラや観光施設でいっぱいになってしまう…と心配になった。

が、良く見てみると肝心のお客さんの姿がサッパリ見えず、店内はいつも閑古鳥が鳴いている。昼間は旅行者が散歩してそれなりに人通りがあるのだが、日が暮れると付近の村人が歩くだけで人通りがぱったりと途切れ、暗〜い田舎の田圃道に変身してしまう。

たぶん、店を構えているのは表向きのことで、いずれ上がるだろう土地への投資が目的ではないだろうか?外国人には無理でもインドネシアのお金持ちにとっては、格好の投資物件なのではなかろうか。

今回のバリ島出張は何もかも慌しいうちに決まってしまった。前回の出張から半年が過ぎているので、そろそろ新作を仕入れる時期にきており、ウブドに完成したコテージLIPの前庭のことも気になっている。宿を選ぶ際に庭の造作は意外と重要で、判断基準の大きなポイントのはず。なんとかしなくてはと気になっていた。

もう直ぐ年越しという12月23日に、小川の護岸兼石壁の土台造りから工事がスタートした。この規模だったら10日前後で完成するだろうとのことだが、費用は工事資材の数量次第なのでやってみないと解らないという。(結果として工期、費用とも予想の2倍で完成)一般的にバリ島では、家を建てる際は発注者が自分で資材を手配し、作業員の賃金も直接彼らに支払う。そのせいか、アチコチで建設途中でタチガレてしまった建物を目にする。恐らく工事半ばで資金が底をつき、万策尽きてしまったのだろう。南無阿弥陀仏…。

眼下の川面からは要塞のような姿ですこの島ではバリの男はあまり働かないというのは常識で、(祭礼に多忙らしい)土木建築作業にはジャワ人の作業員が好んで採用されている。無論、店主も彼らを雇いたいと主張したが、この時期は既に大規模なホテルやヴィラの建設作業に雇われ、今から手配できるのは地元のバリ人しかいなかった。(涙)

工事の殆どは人力で行われる。ブルドーザーもユンボもダンプカーも無い。トラックで土台に使う石(溶岩!)をキンタマーニ方面から、砂、セメント、ブロック等も同じように運びこみ、それを近所のおばさんたちが総勢15人ほどで頭の上の盥に載せて現場に運び込んでくれる。工事の進み具合に合わせてこの作業を繰り返し、最期にトラック4台分の土を運びこんで終了した。

隣村の4人組が工事のメイン作業員となり、70歳過ぎのベテラン?が動作は遅いのだが熟練の手捌きで若い二人を指導していた。がしかし、この爺ちゃんがとんだ食わせもので、怖ろしいことにブロックを水平に積めないことを発見してしまった。その後、店主はチェックマンとして水平器を片手に工事現場を走り回るハメになってしまった。絶壁のようになった石垣を傾いて建設されたらどうなるか…。激烈な雨の中、いずれ悲惨な結末が訪れることになるだろう。

工事開始後10日過ぎた1月1日になっても工事は半分くらいしか進んでいない。(バリ島では元旦も働く)その間作業員4人ともオダラン(村祭り)で、まる2日間休んでくれた。そんなバカな〜とテギさんに頼み込んで、急きょ3人の助っ人を探してもらい工事を続行。多い時は作業員7人、建設資材の運搬人(村のおばちゃんたち)15人、その他助っ人4人の総勢26人という賑やかな時もあった。しかし、雨が降ると工事はストップしてしまう。

庭で捕まったカメレオン(そのあと逃亡)漸く完成に漕ぎつけたのは帰国の前日になってのことだった。どうしていつもこうなんだろう?2階の部屋の拡張工事をした時、キッチンを新設した時、アプローチの石段を改修した時などいつも帰国直前に完成し、その都度もたつく工事の進行状況にヤキモキさせられている。「ギリギリでも何でも間に合ったのだから良かった」と考えるべきか、「工事日程にもっと余裕を持って計画するべきだった」と反省するべきか見解の分かれるところである。

しかし、雨が降る度に工事は中断され、資材の運搬が遅れる度に中断されでは、一体どうやって計算すれば良いのか頭を抱えてしまう。それに発注主(店主のこと)の方もいい加減で、工事が始まった後で「展望台」の建設を思いつき、手描きの簡単な設計図で追加工事を頼んだりしている。意外と大変な工事で日数もおカネも余分にかかったにもかかわらず、ここに昇って(たった4段ですが)展望を楽しもうという勇気のある者が少なかったのは残念…。


朝は日の出と同時にジャワ・ショウビンが飛翔し、白鷺が一羽二羽と目の前に広がる棚田に降り立ち、日が暮れると暗闇の中をホタルが乱舞する。そんな夢のような自然に囲まれたコテージLIPに、新たに「熱帯ガーデン」が誕生するこになりました。さて、この庭をどんな風にアレンジしようかとアタマを悩ませています。良いアイデアがありましたらご一報くださいね〜!

庭の完成写真(合成パノラマ)


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