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バリ島海岸(バリ島旅行記)
バリ島の海辺をウロツク店主
店主の旅日記(バリ島旅行記) 名も知らぬ 〜♪
遠き島より 〜♪
流れ来る 〜♪
椰子の実一つ
 〜♪
さすらいのアートディーラー(店主のこと)バリ島の海浜を彷徨う…。なんかイイモン落ちてないかな?とウロついてると…古そうな小銭を拾って大喜び!「ナンデモ鑑定団」に持ってくとひょっとして??(^∇^)??そしたら葬式の副葬品だって… 。あの世に持ってったら高く売れるかな… (^^ゞ 目次に戻る
ウブド郊外よりバトウカル山を望む
ウブド郊外よりバトウカル山を望む



古典カマサン画と木彫りの館  〜グナルサ美術館を訪ねて〜  2008年7月

バリ島中央部の火山群(キンタマーニ高原より)

思い起こせば、この日はウブド王家の壮大な火葬行事があり、王宮広場に高さ28メートル重さ11トンもある巨大な塔をぶっ建て、それを皆で担いで東のトゥブサヤ村のプラダレムで燃やしてしまう日でした。この「世紀の大イベント」を見ようと、狭いウブドの中心に島中から人が集まり、観光客も押し寄せ、人波でギュウギュウになると聞き、恐れをなした店主はウブド脱出の旅にでたのだった。(この塔を移動させるため道路の電線を切り、街路樹は全て根元から切り倒して通路を確保したとのことです・・・)

グナルサ美術館のカマサン画さて、前回ここを訪ねたのは3月のある日曜日で、まさか休日に美術館たるものが自分で休業しているとは思いもよらず、やられた〜・・・と無念の思いで2時間とガソリン10リッターを棒に振った苦い経験がある。

玄関の門には大きな字幕で「WELCOME VISIT INDONESIA YEAR 2008」とある。ここは曲がりなりにもインドネシア国内。その土地で「2008年はインドネシアを訪ねよう!」というのだ。日本だったら、国内の美術館で「2008年は日本を・・・」と言うことになる。外国人客に対しての呼びかけかなア?ウ〜ンよく解らない。

ここは画家のGUNARSA氏が有り余るお金で建てた(たぶん)3階建ての大きなスペースのプライベート美術館。地上階は玄関ホールとGUNARSA氏の作品展示室があり、氏の抽象っぽい踊り子さんの絵が沢山展示されている。2階には、古典バリ絵画の「カマサン・スタイル画」の貴重なコレクションが展示されてあり、ボロボロの絵巻物のような絵や、その原型となった影絵芝居劇「ワヤン・クリ」で使った登場人物たちの牛皮製の影絵が勢ぞろいしたものなど、古いものは400年くらい前のものとのことだった。

3階は島内から集めた古い木彫作品のコレクションが多く展示されてあり、技術の粋を集めて彫られたような複雑な造形の作品から、犬だかライオンだか解らないような愛嬌のある動物の古い木彫りなどがあり、写真をバチバチ撮っちゃいました。(撮影許可を得てま〜す!)

グナルサ美術館の展示室始めての場所だったので、係員のマデ君(だったと思う)に館内の案内をお願いしたら快く応じてくれた。店主の質問に一つ一つ丁寧に説明してくれ、最後に普段は行かないんだけどと断りながら、裏庭にある完成したばかりの野外ステージやグナルサ氏のアトリエなどを案内してもらった。入場料は確か200〜300円くらいだったので、マデ君のナイス・サービスに対して少し多めにチップを渡して美術館を後にした。

そこから北上して、シュピース縁のイッサー村やシデメン村へと出発。この日は死者を弔う行事を行う吉日らしく、途中の村々で死体を火葬する煙が立ち昇っているのを見た。バリの人たちは死んだら一旦お寺の近くにある仮のお墓に埋葬され、後日遺体をまとめて火葬して魂を天国に送り届けるのだそうだ。遺灰は全て川や海に流してしまうため後にはナニも残らない。お墓(祭壇)は各家庭の一番上等な場所にあるのだが、そこには死者の名前を記した木片が安置されているだけで骨も灰もない。それで小さな島がお墓で占領されるような事態にならなかったのかと感心した。

「死んだら魂は天に昇り肉体(灰)は海に帰る・・・」だったらヒンドウ教徒になるのも悪くないなあと思う。しかしまてよ、皆が皆天国に行けると決まった訳ではない。有名なクルンクンにある昔の裁判所の天井のカマサン画には、悪事を働いた男や女が地獄に落とされノタウチマワッテいる図があったではないか。この島でも死んだら閻魔様の前に引き出されて生前の行いを全て白状させられ、恐〜い「最後の審判」を受けることになるはずだ。ウ〜ンこれは困った・・・。と、車の窓から火葬の煙を眺めながら思い悩んだのだった。

霊峰アグン山とポンドック・バンガローの女将途中のシデメン村に見晴らしの良い場所を見つけ、細く急峻な坂道を助手のプトウ君が死ぬ思いで運転して昇ってくれた。そこは山のてっぺんに建てられたバンガローで、霊峰アグン山が遮るものなしに一望できる。(写真では雲に邪魔されてしまった)絶景を眺めながら熱いコーヒーをいただいていると、バンガローの女将アンダヤニさんが珍客の前ににこやかに現れた。

前回、イッサー村のシュピースの家を探してこの辺りをウロついたことを話すと、驚くなかれこの女将さんの所有物と判明。数十年前に村から買い取ったもので、今はイタリア人(だったと思う)に貸しているとのこと。店主には手が届かないと思い家賃は聞かなかった。 (^^ゞ

若いころはかなりの美人だったに違いない彼女は有名なスイス人の画家、テオ・メイヤー(1908〜1982)に可愛がられていたことを懐かしく語ってくれた。店主が恥ずかしながらバリ絵画を扱う画商であることを話すと、やおら事務所に戻り一冊の分厚い画集を持ってきた。それは画家の生きてきた足跡をたどる全集のようで、タヒチ→バリ島→チェンマイと移り住み、それぞれの土地で多くの傑作をものにし、若い奥さんをもらって優雅な人生を楽しんでいる幸福な画家がそこにいた。その中に女将の若かりし頃の写真も小さく掲載されていた。デンパサールの別宅に形見として彼の作品を1点持っているので、興味があったらお譲りすると言われたが、丁重にご辞退させていただいた。(ご興味のある方がいましたら次回情報をお持ちしますよ!)メイヤーはヘビー・スモーカーだったようで、肺病かなんかでバンコックの空港で倒れ、そのまま治療のため故郷のスイスに運ばれて一人淋しくバーゼルの病院で息を引き取ったとのこと。駄目だと分かっていたら飛行機なんか乗らず、そのままチェンマイの自宅に帰りたかったでしょうに・・・。(T_T)

その後、霧が立ち込めるキンタマーニ高原へと車を走らせ、夕刻になってから火葬イベントの興奮冷めやらぬウブドの宿に帰るべく山道を急いだ。

影絵芝居ワヤン・クリの登場人物





ボネ財団とピタマハの画家ポレン〜プリ・ルキサン美術館50周年記念式典〜2008年7月

「母なる地球への懇願」 ブディアナ作品

6時過ぎになってようやくガムランの音色が会場のプリ・ルキサン美術館の庭に響き始めた。式典の幕を開ける「ウエルカム・ダンス」の踊り子たちが華やかな衣装を纏って現れると、待ちくたびれた招待客の間からどよめきが起こった。演壇の最前列に陣取り録画する者、中継のテレビカメラの前に立ちはだかり写真を撮る者など、眼前で繰り広げられる眩いばかりの光景に我を忘れている様子。何故か「浦島太郎」の物語が思い出され、きっと竜宮城でも夜毎こんな踊りを披露していたのだろうと思った。

画家のウィラナタさんを訪ねた時偶然にもこのプリ・ルキサン美術館50周年式典のことを聞き、迷信深い店主は「これはきっとナンかの神様のお計らいに違いない」と考え、招待を受けた彼の後ろにくっついて入場した。後から考えると「招待状」が必要だったのだろうが、そこはバリ島、堂々としてたら誰も怪しまずに中に入れてくれた。(ウィラナタさんは招待状を忘れて来たが問題なかった)

イダ・バグース・マデ・ポレン作品メイン・スピーチはオランダからやって来たルドルフ・ボネ財団の女性理事の話で、どんな内容だったか思い出せないが、最後にボネの描画作品を2点同館に寄贈する場面があった。改装を終えたプリ・ルキサン美術館で、この式典のために同財団が所有するピタマハの画家 Ida Bagus Made POLENG (1915-1999) の特別展を行うことになっていた。

記念式典なので各界からの来賓スピーチが、これでもかこれでもかと続き、すきっ腹の店主には少々応えたが、飲み物と食事が振る舞われるのでここは我慢するしかない。

笑えたのはある高官のスピーチで、「バリ島へのインドネシア政府の優遇政策のお陰で”バリ島”の名は世界中に知れ渡るようになった。近頃はインドネシアに来た外国人に、バリ島はどこの国にあるのですか?と質問されるほどだ」とやり、招待客に大いに受けた。そんな馬鹿な外国人がいるのかと地元の招待客は笑い、そんな馬鹿な奴はいないでしょと外国人招待客は笑ったのだと思った。同床異夢ならぬ同話異笑?かな。(^^ゞ

ふと隣を見ると、以前から注目していたオーストラリア人の女性画家のケリー・ペンダーグラスト氏のお顔があった。彼女の描くバリ島風景画の鮮やかで強烈な色彩感覚に惹かれていたので、アナタの絵のファンだと言ったら、アリラ・リゾートでの個展の素敵なカードをくれた。 入場そうそう、ブディアナ画伯と再会し感激していたら、絵を数点お預かりしているグラカカ画伯も現れ3人で記念写真を撮ってもらった。他にもメジャ・ギャラリーやスメルタ・ギャラリーの若旦那、若手画家のSUARTIKAさんやSUKAWATIさんらの顔もあり、店主もこの世界では結構知り合いが増えてきたなあと嬉しくなった。

スピーチが終わり、ようやく待ちに待った豪華なビュッフェ・ディナーが振る舞われた。お腹をパンパンに膨らませ一息ついた頃にテープ・カットがあり、改装して特別展示作品で溢れかえった館内に招待客が続々となだれ込んでいった。

今は亡きボネやシュピースと、彼らが中心となって創設したウブド画家協会「ピタ・マハ」で活躍したバリの画家たちの霊があの世から舞い戻り、彼らの作品に群がる観客を前に昔のことを懐かしく語ってくれたような気がした夜だった。
プリ・ルキサン美術館50周年式典 バリ島の夕暮れ プリ・ルキサン美術館50周年式典



魔界へのご招待 〜ブディアナ画伯を訪ねて〜  2008年1月
「母なる地球への懇願」 ブディアナ作品

風の便りでアトリエが完成したとの噂を聞き、ウブドのブディアナ(BUDIANA)さん宅を訪ねたのは昨年の一月のことだった。近年の新築ブームで氏の家の周りも家が密集しだし、風通しが悪くなったと嘆いていたが、玄関から一歩敷地に入ると「ここの何処が密集なのか?」と、あきれるくらい広い中庭だった。その一角に、岩山のような異様な外観の「新築さん」が完成していた。

ブディアナ Ketut Budiana 穴倉に潜り込むようにして足を踏み入れると、そこは深い闇に支配された洞穴のような空間で、暗闇に目が慣れるまで少し時間がかかった。

豆電球と小さな採光用の窓から漏れるうす明りに、氏の代表作「母なる地球への懇願」が壁一面に広がっているのがぼんやりと見えてきた。天地創造の神々の放つ強烈なエネルギーが波動となって伝わってきそう・・・。美術館に展示するよりも、こんな魔境のようなスペースこそブディアナ作品に相応しい場所に思えた。

以前は、ハノマン通りのアトリエ兼インターネット・カフェの建物に作品を保管していたのだが、雨漏りが激しくなり作品に被害が出始めた。そこで、新しいアトリエの建設計画が始まったとのことです。(実は、ある日本人コレクター様が資金面で大貢献されたんですよ!)

バリ島のスコールは激しく、雨期ともなると天地をひっくり返したようなドシャ降りとなり、「家の中も外もあったもんじゃない!」という状態になる。他に、動物が家の中に入り込み、時折とんでもない所にシャワー(オシッコ)が降ってきたりする。そのため貴重品の保管場所に困ることになる。風通しの良い場所はドロボーが心配だし、隅にある隠し戸棚はカビが心配だ。いったい住民の皆さんはどんな場所に貴重品を隠してるんでしょうかね・・・。

ブディアナ作品 (部分)さて氏の作品ですが、それはそれは超越したトンガり振りで、「一人無人の広野を征く」が如くです。バリ島に画家多しといえど、バリ・ヒンドウの精神世界を、これほどエネルギッシュな筆致で縦横無尽に描き続ける作家さんは他に知りません。ただ、奇怪でグロテスクな地獄絵のような作品が多いため、一般家庭の居間で鑑賞するには向かないかも知れません・・・。(^^ゞ しかし、大衆的なポピュラリズムには縁が無くとも、独創的な作品を長年に渡り製作し続ける氏の姿に、「歴史的にも、後世に残る作家(作品)とはそういうものではなかっただろうか?」と思うのです。(ゴッホの絵は生前にたった一枚しか売れなかったそうですし・・・)

トコロデ、氏の作品を扱ってる画商は、日本ではアート・ルキサンだけなんです!(コマーシャル・タイム)

ブディアナ氏は、「私にとって瞑想はとても大切な時間で、それに最も適した場所がここです」と、完成したばかりのアトリエの2階から外を眺めながら話してくれた。風が吹き抜ける東屋風のスペースは、一人創作の構想を練ったり、客人をもてなしたりする貴重な空間として、今後大いに活躍してくれることでしょう。

数年前に完成した、ウブドのモンキー・フォレスト入口付近にある大きなおサルさんの石像は氏の製作によるもので、寺院の石像彫刻を多く手掛けていることは既に有名です。今回は、「新築さん」のあまりの迫力にオシッコをチビリそうになりながらの取材となったのだった・・・。(T_T)


最新ニュース:

東京の世田谷美術館にてブディアナ氏の個展(2008年4月)が開催されます。
全国のバリ絵画ファンの皆様、この機会を逃さないでくださいね〜!
(ブディアナ氏も来日して会場にお越しくださる予定)

ブディアナ氏の作品
ブディアナ氏の略歴



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