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バリ島海岸(バリ島旅行記)
バリ島の海辺をウロツク店主
店主の旅日記(バリ島旅行記) 名も知らぬ 〜♪
遠き島より 〜♪
流れ来る 〜♪
椰子の実一つ
 〜♪
さすらいのアートディーラー(店主のこと)バリ島の海浜を彷徨う…。なんかイイモン落ちてないかな?とウロついてると…古そうな小銭を拾って大喜び!「ナンデモ鑑定団」に持ってくとひょっとして??(^∇^)??そしたら葬式の副葬品だって… 。あの世に持ってったら高く売れるかな… (^^ゞ 目次に戻る
ウブド郊外よりバトウカル山を望む
ウブド郊外よりバトウカル山を望む


人生は長い道を歩き続けるようなもの 〜モコ画伯を訪ねて〜  2007年12月
MOKOH モコ氏代表作
その日のMOKOHさんは体調が良いのかとても饒舌だった。(理由は後に判明…)前回購入した作品がまだ2点在庫してある(売れてない)ので新しい仕入れはできないが、然る顧客様より氏の所有作品を調査してくれるよう依頼を受けての訪問だった。

モコさんはユーモアたっぷりの画家さんで、日々の暮らしの中で思ったこと感じたことをズバリ絵の中に表現できる才能の持ち主。「エエッ、そんなこと恥ずかしくて言えないよオ・・・」と思わず顔を紅くしてしまうようなことを、思い入れたっぷりに絵画作品にしてしまうのだ。だから絵を見ると、その時のモコさんの頭の中がこちらに伝わってきてしまい、思わず照れ笑いしてしまう。そんな画家おやじの娘に生まれてしまったら「家の中の出来事を友達みんなにバラされてしまう…パパもうやめて〜!」と発狂寸前になってしまうかも・・・。

MOKOH モコ氏 つぶらな瞳の主人公たちが繰り広げるほのぼのとした人間ドラマは、実は過去のアナタの頭の中で繰り広げられていた夢想の世界、懊悩ドラマを映し出した「心の鏡」だったんです!

「すべての人には同じ運命が待っている。それはいつか必ず死ぬということじゃ。金持ちも貧乏人も、男も女も、お前さんも私も、いつかは必ず死んでしまう。死んだあとは何も無い。それでオワリだ・・・。(確かヒンドウ教徒には天国か地獄の死後の世界があった筈。そんなことは信じてないのでしょうか?)人生は細くて長い道を歩き続けるようなもので、何処に行くのかは解らないが、悩みながら曲がりくねった道を歩いて行くことじゃ。そしていつかは立ち止まり、行き倒れてしまう。それが死んだ時じゃ。」

「一つやり残したことがあるとすれば、これまでの画家人生の足跡を残す自分の美術館を建てることだ。幸い若いころの作品も少し残っているので、それにこの絵(冒頭の横長の作品)をメインにしたプライベート美術館を建てたいのだが資金が足りない。」「さて、お金を貯めるには絵を売るしかないし、絵を売ってしまったら自分の美術館に展示するものが無くなってしまうし・・・」

稀代の巨匠で人生の賢者にして、この世は儘ならないことがあるという…。いわんやまだ中年ホヤホヤの店主なんぞ、世の非情無情を嘆いている暇があったら、その先に待ち構えているであろう災難に対する備をしするくらいでないといけいない。とは言え、どこかにエンジェルになってくださる方がおりましたら「モコ氏の最後の夢」にお力添えくださいね〜!

今年74歳を数える氏の瞳の奥からは、時折力強い輝きが放たれ、今も旺盛な創作力と逞しい生命力の強さを感じさせてくれる。大きな掌からはみ出すように異様に長く延びた指で、今も二週間に一点くらいのペースで絵を描いているとのことでした。

MOKOH モコ氏 作品今回ひょんな事から同行をお願いした、可愛いインドネシア人の女性通訳さんにモコ氏は人生のこと、やり残した事業のことなどを雄弁に語ってくれたのだった。(それでご機嫌が良かったのか!)前回訪問した時は、どこかの巨匠みたいに「私が有名なXXです!一緒に写真を撮りましょう!」などといったセールス・トークは一切せず、時折質問に答えるだけの寡黙な老画家だったのだが…。(前回の訪問記
その証拠に「アンタ生まれは何処?」とか「何歳になるの?」とか、話の合間に嬉しそうに尋ねていたのを聞き逃さなかった。これからは大事なインタビューで年寄り画家さんに会う時は、若い女性通訳さんを連れて行かねばと痛感した。

正体不明の中年オヤジ(店主のこと)相手に人生がどうの、運命がどうの等と商売と関係ないややこしい話しをする暇はないのだ。店主がモコさんの立場だったら、尋かれたことだけ説明し、あとはあくびを噛み殺しながらこの訪問者の値踏みかなんかしていると思う。

さて、古い絵が残っているとは初耳だったので、さっそく昔の絵を見せてくれるよう、可愛い通訳さんに頼んでもらったところ快く応じていただいた。オマケに写真もOKとのこと。!こんなチャンスは滅多にないと門外不出のモコ氏の秘蔵作品を遠慮なくバチバチ撮影させてもらった。

上の肩にバッグを提げたオサルさんの絵は、紙に描いた小サイズのアクリル画で、まだ動植物をテーマにしていた若い頃の作品。動きのある表情豊かな楽しい場面を好んで描く、氏の特徴が良く表れている貴重な作品です。(残念ながら非売品とのこと!)

モコ氏作品参照 → ギャラリーMOKOH

モコ氏の略歴
1934年 バリ島プンゴセカンに生まれる
1970年代 弟バトゥアンと共に「プンゴセカン・コミュニティ・オブアーティスツ」結成
1971年
1972年
ヴィクターメイソン企画のプンゴセカン作家の展覧会に出品
1972年
〜1978年
デンマーク、オーストラリア、スラバヤ、オランダ、アメリカ、ドイツでのグループ展に出品
1979年 バリ島アートセンターの「バリ芸術祭」の展覧会に出品
1980年 ラトナ・ワルタ・アーティスト・アソシエーションに所属
1985年 「第2回アジア美術展:特別部門 バリの美術」展(福岡市美術館)に出品
1993年 ヴェネチア・ビエンナーレにロスマ・スクネーリの企画「モコの世界」に出品
1995年 「第8回アジア美術展:モコ展」(福岡市美術館)



プンゴセカンの扉 〜バリ絵画史探訪記〜  2007年8月

プンゴセカン画家組合の入口

ウブドの南、プンゴセカン村の埃っぽい道路脇にその建物はあった。バトウアン兄弟を中心に農民たちが集まり、外国人旅行者のお土産用絵画の制作を始めた場所で、インドネシア政府が外貨獲得のためバリ島に高級リゾートホテルの建設を始めた1970年代のことです。

訪れる人も無くひっそりとした建物は、バリ絵画史に残るプンゴセカン画家組合と呼ばれ、今も何らかの活動を続けているようだ。こじんまりとした展示室には、プンゴセカン・スタイルの歴史を感じさせてくれるような品物は殆ど見当たらず、絵描きのお兄さんがだらしない恰好で昼寝しているだけで、朝から気合を入れて「突入」した店主は気落ちして少々ガッカリ…。

古い絵画の保存されている様子一周りして目ぼしそうな絵の写真を撮った後、創設者のバトウアン氏や当時の絵に付いて別の係員に聞いてみた。

バトウアン氏はマンダラ(曼荼羅)絵が専門で、彼の絵や当時の花鳥画は隣の建物に保管してあるとのこと。
真剣そうな店主の顔(だったと思う)を見て、直ぐ傍の倉庫のような建物に案内してくれた。

一歩中に踏み入ると異様な光景とかび臭い匂いが飛び込んできて、店主の心臓はドキドキ波打ち始めた。そこは、洗濯物干し場?と間違えてしまうような状態で、古そうな絵が重ねられて物干竿に掛けられていた。湿気と昆虫の多い土地では、なにより風通しに気をつけなければならないならないのだろうか…。

店主: 「コ、コノの中でイ、イチバン古い絵はドレですかア?」
係員: 「そうですねえ。どれもこれも古い絵ばかりですがコレかな」

と、足もとに広げられた薄汚れ半分擦り切れたような絵を指差した。

店主: 「かなり色が薄いようですが、もともとこんな色だったんですか?」
係員: 「昔の絵具は質が悪かったんで色あせてしまったんですよ」

店主: 「アノ〜・・・写真を撮らせて貰えないでしょうか?」
係員: 「どうぞご自由に」

擦り切れた絵に混じりバトウアン氏が描いたと思われる古い曼陀羅絵が数点あった。

店主: ナンか縦長の絵が多いけど、横長の絵はないんですか?
係員: 昔は、縦長の絵を何枚か組み合わせて売ってたんです。

店主: 「へえ〜それは初耳ですね…。日本の屏風みたい?」
係員: 「屏風 ???」

同じ大きさの絵3〜4枚の木枠部分を蝶番で繋ぐと小さな屏風絵のようになります。

店主: 「これって、売って貰えるんですかね?」
係員: 「モノによりますが(擦り切れてますが・・・)欲しいんですか?」

店主: 「実は古いバリ絵画をコレクションしてるもので…」
係員: 「古さだったら何所にも負けませんよ。ハハハ!」

初期のプンゴセカン・スタイル画
いつもの癖ですっかり「宝島に上陸した探検家」になりきった店主は、部屋中に山のように積み重ねられたボロ布のような絵を前にアーデモナイ、コーデモナイと品定めを始めたのだった・・・・。

背景となる画面全体を丹念に描きこむプンゴセカン・スタイルは、写実的で細密画に近いように思えていたので、ヒョットしたらこの屏風絵のような観賞スタイルが日本の花鳥画の影響云々と言われたのかも…。

果して真相は如何に???

かくして、バリ絵画史の貴重な資料として、プンゴセカンの古い原画が店主の「マイコレクション」に加わりました〜! (=^0^=)/♪

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プンゴセカン画家組合

1970年代にプンゴセカンに住むデワ・ニョマン・バトゥアン兄弟を中心とするアーティストたちによって設立された。フローラ・フォウナと呼ばれ、日本の花鳥画(注)を思わせる風雅な画風で、竹筆で陰影を付けた下絵に丹念に色を重ねた独特の技法で描かれる。当時は数枚の絵を屏風のように組み合わせて鑑賞した。

(注)唐、宋代の中国で確立し室町時代に日本に伝わった自然の風物をテーマにした画法のこと。





LOST IN PARADISE は如何? 〜バリ島でギャラリー開店〜 2007年1月
夕暮れのプネスタナン村

店主: 散歩の途中で気軽にトイレや汗を流せるような施設があったらいいねえ〜。
     (現地の人だったら小川でパシャパシャ水浴びしてOKなんですがね)

友人: そうだね。旅行者にはそういう場所があったら良いね〜。
店主: ココに造るとしたらアノ池を埋めて平らにし、あの辺に吹き抜けの休息所を建て、
     この奥に田んぼを眺めながら用足しできる小奇麗なトイレを設けて・・・。

友人: で、休息所とトイレはどの位の大きさ?
店主: まア、一度に2〜3人休めればOKなんでそれぞれ2メートル四方くらいかなア・・・。

友人: 洗面所は要る?
店主: そうそう、それはアノ窓の下にコレくらいの幅と高さで欲しいねエ・・・。

友人: そしたらウチのギャラリーにもお客さんが来てくれるかも知れないね!
店主: そうなると良いね。ウ〜ン、でもこのままじゃ駄目。

友人: それじゃどうしたら良い?
店主: 内装を綺麗にして、もっと質の良い作品を架けかなけりゃ・・・。

友人: じゃあ、自分でヤッテみる?
店主: ソ、ソ、ソレモヨイカナア・・・?? 
(=^_^;=)

ポーズをとる幸運の女神(家主のお嬢さん)人生、何処でどう転ぶか分からないものだ。チョットした提案の積もりで言ったことがドンドン発展して「ウブドでギャラリーやってみようか?」という羽目になってしまった・・・。(T◇T) 

お陰で滞在の後半は、庭作りの現場監督をしながら汗だくになって部屋のクロス貼りに精を出す毎日となった。モチロン、資金は全てこちらの持ち出しのため、財布は直ぐに底をつき、銀行のクレジット・カード頼みの情けない生活である。

とは言え、旅行者が安心してジャランジャランが楽しめるように無料のSOSトイレと休息所を提供し、さらに時間とオカネに余裕のある方には、隣接する小奇麗なギャラリーで名画の鑑賞と散財のチャンスを提供しょうという事業は、社会福祉とはいえないまでも、バリ島の観光産業に貢献する立派な奉仕活動になるのではないだろうか?

「とらぬ狸の皮算用」をしてみても、全くと言っていいほど採算には程遠く思える。しかし、名所旧跡を除いてそれらしい設備が皆無のバリ島の新名所として観光ガイドブックに掲載されたりして・・・そしたら、ギャラリーの宣伝にもなってナンとかなるかなあア・・・。などと、目の前に広がる棚田を眺めながら都合の良いことばかり考えていた。

改装中のギャラリー内部「ウ〜ム、良く分からん。どうしたものか・・・。」と、トイレの建設予定地に白羽の矢を立てた場所で思い悩んでると、目の前の小川の茂みの上をキラキラ光るモノが弓矢のように飛んで行った。一瞬の出来事だったが虫ではなくかなり大きなヒスイのような鳥だ。アレが噂に聞くジャワショウビンか?ココはナンとも縁起のよい場所ではないか!「よしココで始めよう!」いつもの癖で、興奮覚めやらぬうちの英断となったのだった。

かくして、2007年の店主の新しい挑戦は幸運を運ぶ(?)幻の野鳥ジャワショウビンに導かれるようにウブド郊外はプネスタナン村の南の外れ、のどかな田園が広がる場所でスタートしたのだった。聞いた話では「幸運の女神に出会ったら前髪をツカメ」というらしい・・・。店主の場合は青い鳥(カワセミさん)の尻尾をツカンダつもりなのだが果たして・・・。

皆様に安心してご利用いただける休息所にすべく思考錯誤しながら建設中すのでご期待くださいね〜。
(=^0^=)/♪

ギャラリーのHPはこちらです ⇒ Gallery Lost In Paradise


改装工事中のギャラリーの庭 ウブド近郊地図

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